抽象化能力の高め方
抽象化思考はいろいろな場面で応用が利き、偉人や発明家、イノベーションなどには必ず使われている。
新しいアイデアの発想は抽象化思考で行われる。
新しいアイデアを創造することができれば、仕事で優位に立ち、またフリーランスになって会社員よりもお金を儲けることができる。
お金があれば自由が買える。
そしてまた、抽象化思考は、苦境などに陥った時に助けになる側面もある。
では、どうやったら抽象化能力を高められるのだろうか?
日ごろから物事の本質は何か? これとあれは似ているのではないか? このことは他のことに使えないか? など、考えることだ。
ただ残念ながら、一朝一夕で身に付けられるものではない。
時間がかかることなのだ。
しかし、逆を言えば一度身に付ければほかの人に簡単に追いつかれないし、そもそもやってみようと思う人が少ないかもしれない。
さて、物事の本質は何かを考えるというのは、「つまり、こういうことだよね」といった要約であったり、「結局これって、こういうことだよね」といった単純化である。
シンプルに、ということである。
よく、訳の分からない話をする人は、しっかり伝えようとしてなのかだらだらと枝葉まで説明して 、話があっちこっちしている人が多い。
結局、何を言いたいんだ、と思うことが多い。
もっとシンプルに、何が一番大事なことかを考えるべきである。
重要なことを一言で述べるべきである。
一言となると、具体的に話すことはできない。
核となる部分を見つけるのだ。
これとあれは似ているのではないかと、とアンテナを張ることも重要である。
全くの無から何かを作り出すことはほとんどできない。
新しいアイデア、問題解決、イノベーションには、何かと何かを結びつける発想が大事であるからだ。
多くの新しいアイデアは、こういった類推から生まれている。
結局、しっかりと考えることが重要だ。
考えるとは、抽象化すると言ってしまってもいいのかもしれない。
多くの方も、自分は日々考えていると思っているかもしれない。
今日の晩御飯は何にするか?
どういった服を着ていくか?
といった、身近なところから、
世界の貧困はどうやったらなくなるのだろう?
といった、大きなことまで考えていると思っているかもしれない。
しかし、よく考えてみてほしい。
それは反応しているだけではないだろうか?
晩御飯はインターネットで評価が高かったからあの店にしよう。
今、これが流行っているから着ていこう。
満足に食べられない人が多いから、ご飯は残さずに食べよう(と、テレビで言っていた)
考えることは反応することと違うのだ。
こういった、実際は自分にそれほど重要ではないことには、労力を削減するという意味合いで反応してもよいかもしれないが、自分の関心ごと、大切な問題にも、このように反応してはいないだろうか?
それで良いのであれば、誰が何を言う必要もない。
そういう人生もあっていいと思う。
ただ、成功したい、より良く生きたいと思うなら考えなければならない。