すごい物理学入門 カルロ・ロヴェッリ ②

では、今回は量子力学です。

量子力学は1900年に誕生したと言われています。 

 著者の言葉を引用します。

『ドイツの物理学者であるマックス・プランクが、熱した箱の内部で安定した平衡状態にある光を計測しました。その際に、プランクはちょっとした工夫をしました。場のエネルギーが「量子」、つまり小さなエネルギーの固まりとなって分散していると仮定したのです。』

プランクは計算しやすくするために、この「量子」という小さなエネルギーの固まりを仮定しました。

実際は、光は滑らかな流動体のようなものと考えていましたが、プランクは単に計算しやすくするために「量子」を仮定したのです。

本来は滑らかなものを、固まりとして、とりあえず想定した。

しかし、これが彼にとって驚きを与える結果となったのです。

この仮定で計算した結果が、実際に計測した値と完璧に一致したのです。

普通なら、当然、誤差が出るはずです。

滑らかな流動体と固まりは全く異なるものなのですから。

しかし、「量子」という固まりに仮定をしたらぴったりと一致してしまった。

このことを、どう考えればいいのかプランクはわかりませんでした。

 この問題を解決したのはまたもやアインシュタインです。

アインシュタインは光が粒でできていることを示しました。

これを「光子」と呼びます。

アインシュタインの「光量子仮説」を引用します。

『私が思うに、光ルミネセンスや、紫外線による陰極線の生成、箱の内部から発生する電磁放射線など、光の生成と変換にかかわる現象の観測結果は、光のエネルギーが空間内に不連続に散らばっていると考えたほうが理解しやすいのではないだろうか。ここでは、光線のエネルギーが、空間の中に連続的に配分されているのではなく、空間の中にとびとびに存在する有限個の《エネルギー量子》を構成し、それ以上分かれることなく運動し、それぞれの集まりとして生産され足り吸収されたりしているのではないかという仮説について考察する。』

アインシュタインは、光のエネルギーは水のようにその空間になめらかに分布しているのではなく、不連続に固まりとして散らばっていると考えました。

そして、そのエネルギーは固まりであるから有限なのであり、生産されたり吸収されたりするものだと考えました。

この仮説に基づき、アインシュタインは光のエネルギーの固まりを計算式で示しました。

こうして、プランクの仮説をアインシュタインが発展させたのです。

 それから、このアインシュタインの理論にも、さらに発展があります。

発展させたのはデンマークの物理学者であるニールス・ボーアで、彼は光のエネルギーだけではなく、電子のエネルギーもまた固まりであると考えました。

 では、引用します。

『1910年から20年代にかけて、量子論の発展の中心的な役割を担ったのは、デンマーク理論物理学者、ニールス・ボーアでした。彼は、原子の内部における電子のエネルギーもまた、光のエネルギーと同様に量子化された値しか持ちえないことを突き止めました。つまり電子は、原子の軌道上を一点から別の一点へと、エネルギー量とともに跳ぶことがわかったのです。跳ぶ際に、光子を一つ放出するか、または吸収します。これが、「量子跳躍」として知られている現象です。』

 ニールス・ボーアは電子のエネルギーもまた、光と同じく固まりでできていると考えました。

そして今までは、電子は原子核の周りを回っていると考えられていましたが、ニールス・ボーアによると、電子は原子核の周りを、ある軌道から別の軌道へと飛び跳ねているのです。

ぐるぐると回っているのではなく、特定の軌道だけを跳んでいるのです。

このような仮説を立てると、「スペクトル」と呼ばれる光を分解した波長のようなものの謎が、合理的に説明できるようになりました。

 このように量子論は1900年代初頭に発展していきますが、この量子論の方程式を最初に考えだしたのはドイツのヴェルナー・ハイゼンベルクです。

その発想は驚くべきものでありました。

 引用します。

ハイゼンベルクは、電子というものは、常にそこに存在しているわけではないと考えました。電子は、誰かが見ているときにだけ存在する、つまり、何か別のものと相互に作用しあうときにだけ存在すると考えたのです。』

電子は空間内に常に存在しているわけでなく、何か別のものと作用しあうときにだけ存在する。

電子単体では存在しているわけではない。

何かと関係性をもって初めて、電子は存在すると考えました。

何かと電子がぶつかり合うときにだけ、物質として存在すると考えるのです。

『つまり、電子というのは、一つの状態から別の状態への跳躍という、相互作用の集合体ということができるでしょう。電子は、誰とも関わり合いを持たない時には、決まった場所にあるわけではありません。場所を占めてはいないのです。』

電子は静止しているということがない。

一つの状態から別の状態への跳躍、つまり「量子跳躍」ということ自体が、電子というものの存在なのです。

『一つの状態から別の状態へと移る物質のこうした跳躍は、予測可能な形で現れるのではなく、偶然に起こるものです。電子が次にどこに合わられるのかを予測することは不可能で、私たちには、そこやここに表れる確率を計算することしかできません。』

 現代の私たちにとってもとても信じられないと思われるようなこの話は、アインシュタインでさえ信じられませんでした。

アインシュタインは世界の根本にかかわる重大な発見をしたとして、ハイゼンベルグノーベル物理学賞の候補に推薦しますが、一方でそんな説明ではさっぱりわからないと言っていました。

考え方としては認めていましたが、理論としてはまだ不十分だとアインシュタインは思っていました。

その理論は、より論理的な説明が可能であると考えていたのです。

2人の考えを簡単に整理すると、

アインシュタインの考えでは、「客観的な現実というものはある」ということになります。

一方、ハイゼンベルグは言ってしまえば客観的というものはないか、主観的、客観的という2項対立以外の現実があると考えたのです。

 著者は書いています。

『それから一世紀が経過した今でも、状況はあまり変化していません。量子力学の方程式とその成果は、様々な分野で、物理学者やエンジニア、化学者や生物学者によって利用されています。(略)それでも、いまだに謎めいたままです。というのも、一つの物理系に起こることを記述したものではなく、一つの物理系が、別の物理系によってどのように捉えられるかだけを記述したものだからです。

 つまり、どういうことでしょうか。一つの物理系における本質的な現実は描写が不可能だということでしょうか。それとも、物語の一部が欠けているということなのでしょうか。あるいは、現実というものは相互作用でしかないという考え方を受け入れなければならないのでしょうか。私は、後者だと考えています。』