知的複眼思考法 苅谷剛彦 ①
本書は「自分の頭で考える」ための思考法の本です。
本書を読めば、次のようなことを学ぶことができます。
『自分なりの考えを、きちんと自分のことばで表現できるようになる。論理的に筋道の通った考えを展開することができる。人の意見を簡単に受け入れてしまわずに、批判的に捉えなおすことができる。』
そのような思考法を学びたい方にお勧めできる本です。
よく「自分の頭で考えろ」とか「自分で考える力を身に付けよう」とか言われますが、では具体的にどのようにすれば「自分の頭で考えれるようになるのか」は誰も教えてくれません。
そのような有益なことは人に教えるのはもったいないと考えているのでしょうか。
それとも彼ら自身も本当のところはわかっていないのでしょうか。
どうすればいいのかと質問しても、それを考えるのが「自分の頭で考える」ことだ、と言って逃げられるか、口ごもって結局何も答えてくれません。
彼らとは違い、本書は「自分で考える」方法を具体的にわかりやすく書かれている本です。
その具体的なわかりやすい方法が、知的複眼思考法です。
では、今回話す内容をはじめに伝えておきます。
一つ目は、知的複眼思考法とはどういうものなのか。
二つ目は、創造的読書で思考力を鍛える。
三つ目は、著者と対等の立場に立つ。
四つ目は、本を批判的に読むです。
それぞれ解説していきます。
では、まず一つ目、知的複眼思考法とはどのようなものなのでしょうか。
まずはその逆、複眼ではなく単眼思考を見てみましょう。
単眼思考とは、『ありきたりの常識や紋切り型の決まり文句、つまりステレオタイプ』にとらわれた考え方のことです。
世の中には「情報化社会だから」とか「今はプログラミングのスキルが必要だ」とか、あるいは「これは決められたルールだから」とか「そんなことは前例がないから」とか、そのような紋切り型の決まり文句があふれています。
そのような決まり文句に出会ったとき、私たちはそれについて深く考えることはなしに、「そんなものかなあ」、「ああ、そうか」と反応してしまいます。
それらにしっかりした事実や根拠がなくても、その決まり文句を自分に照らし合わせて捉えなおしをせずに反射的に受け取ってしまうのです。
そのような反応こそ、「自分の頭で考えなくなる」要素であり、それは一方のみしか見ない、単眼思考というものなのです。
単眼思考を続ける弊害は、物事のほかの側面が見れなくなり、自分で考えることができなくなることです。
それに引き換え知的複眼思考は次のようなことです。
『情報を正確に読み取る力。物事の論理の筋道を追う力。受け取った情報を基に、自分の論理をきちんと組み立てられる力。こうした基本的な考える力を基礎にして、常識にとらわれずに、自分の頭で考えていくこと』
そのようなものが、知的複眼思考法です。
では、二つ目「創造的読書で思考力を鍛える」です。
現代では、知識や情報を得るためには本以外にも様々なものがあります。
テレビやブログやツイッターや、このYouTubeなど、むしろ本より数段早く、しかも手軽に知識や情報を得ることができます。
しかし、本でなければ得られないものがあります。
それは知識の獲得の過程を通じて、じっくりと考える機会を得ることです。
つまり、考える力を養うための情報や知識との格闘の時間を与えてくれるということです。
本では、読み手のペースに合わせて、じっくりと内容を追っていくことができます。
じっくりと内容を追っていくことができるというのは、「行間を読んだり」、「議論の進め方をたどったり」、「これまで読んだところを、もう一度読み返したり」する時間が与えられるということです。
このようにじっくりと考えていくことができるということは、例えばもっともらしいセリフに出会っても、話しているときとは違い、「本当かな」と考えることができます。
もっともらしさやありきたりな文句などを疑ってかかる余裕が、本では得られるのです。
つまり、このような「常識」を疑ってかかる複眼的思考を身に付けるうえで、こうした本は格好のトレーニングとなるのです。
もちろん、テレビやYouTubeが無駄というわけではありません。
特にYouTubeは本の内容を復習したり、本質だけを勉強したりなど、効率的なメディアであるのです。
次に三つ目、著者と対等の立場に立つ、です。
皆さんは本を読むときに、著者と自分との関係とはどのようなものでしょうか。
著者の論理に批判的に読むという人もいるかと思います。
逆に、まずは著者の考えを批判せずにそのまま呑み込んで、それから批評していくという考え方もあります。
本書では著者との関係は「対等の立場に立つ」ことが重要だと言っています。
では、「対等の立場に立つ」とは一体どういうことなのでしょうか。
著者はそれを理解してもらうために、「私の決断」という題名で400字ほどの作文を書いてもらうように述べています。
まあ、題名は何でもいいのですが、作文を書いたときの最後の仕上がった文は、一番初めに書いた文とはいくらか違ったものになっているでしょう。
皆さんも現在まで沢山文章を書いてきたと思いますので、一度そのことを思い出してみてください。
その時、「この表現はやめよう」とか「あまりプライベートなものは出さないようにしよう」とか、「ここはもう少し具体的に書こう」とか、いろいろ削ったり付け加えたりしているはずです。
そのような削ったり付け加えたりを何度かして、これまで文章を書いてきたと思います。
私たちが読書をするときの本も、同じように推敲され、削られ、付け加えられています。
そして、その削られ付け加えられた文は、私たちの手元に届く本の中には跡形もなく消え去られてしまっています。
私たちはそのような完成品を読んでいるのです。
そこに至るまでに、他の文章になる可能性を切り取られ、今ある形を選び取った著者の試行錯誤があります。
そのような迷ったり、悩んだり、付け加えたり、削られたりした書くプロセスを考えると、私たちが手に取る本は完成品としてみる見方から、また別の視点が見えてきます。
では引用します。
『このように活字として書かれたものを捉えなおすと、本の著者との「つきあい」も変わってきます。漫然と著者の言うままに、その通りに文章をなぞるように読むのではない。「他の文章になる可能性のあったもの」として目の前の活字を追っていく。つまり、「私だったらこう書いたかもしれない」とか、「どうして著者はここで、こんなことを書いているのか』を考えながら、文章を読んでいく。」
「なぜこう書かずに、著者はこっちを選び取ったのか」と考えて読んでいく。
それはリズムが良かったからかもしれませんし、著者の癖が出ているのかもしれません。
しかし、そこにはもしかすると著者の間違った前提や、常識、紋切り型の決まり文句が含まれているかかもしれません。
また、論理不整合なところや、根拠としたデータの不正確さ、飛躍した文章などが含まれているのかもしれません。
そのような様々な可能性のうちの一つとして、今ある文章が出来上がっているのではないかと考えます。
これが「著者と対等の立場に立つ」ということです。
『こうした著者との関係を築くことは、複眼思考を身に付けるうえでの基本的な姿勢になります。というのも、相手の言い分をそのまま素直に受け入れてしまうのではなく、ちょっと立ち止まって考える習慣が身に付くようになるからです。』
最後に四つ目、本を批判的に読む、です。
このような、本の基本的な姿勢を身に付けた後に、次は批判的に読むということが重要になります。
ここで「批判的」という言葉を説明しておきます。
これは何か攻撃的な、本をはじめから非難するような気持で読むということではありません。
『著者の思考の過程をきちんと吟味しながら読もうとすることです。そのまま鵜吞みにするのではない、そういう態度を以て本に接する。そして、できる限り、書き手の論理の進め方を他の可能性も含めて検討していく。』ということです。
本書では批判的な読書法について20のチェックリストが挙げられています。
これはアメリカの大学で使われている批判的読書法のテキストを日本向けにアレンジしたものだそうです。
その中から特に重要なものを挙げていきます。
はじめに「眉に唾して本を読む」です。
本に書いてあることを「本当にそうなのか」、「根拠となるデータは実際に正しいのか」などそのまま信じないで読むということです。
書き手ももちろん間違うことがありますし、気づかないところで論理の飛躍があるかもしれません。
あまり謙虚にならずに本を読むことです。
2つ目は、「著者の狙いをつかむ」です。
著者は何か目的があってその本を書いています。
その目的は明確に書かれていない場合もありますが、それを意識しながら読んでいきます。
またその目的が十分に果たされているのかもチェックすることです。
3つ目は、「論理を追う」です。
論理の飛躍がないか、根拠となるデータが間違っていないか、統計や数字は正しいのか、考えながら読みます。
また、もっともらしいたとえ話や難解な術後に騙されないことです。
そして、流行り言葉や決まり文句も要注意です。
それらの言葉の響きだけで、なんとなくわかった気になってしまいます。
それがどういう意味を持つのか、どのような考えを述べているのかを掴むことです。
4つ目は、「著者の前提を探る」です。
『著者が知らず知らずのうちに文章に忍び込ませている前提は何か。暗黙のうちに伝えようとしているメッセージは何か。著者が直接書かずに与えている印象と、実際に書いている事柄を区別して読み取ることが大切です。』
これらの批判的読書法のうち、3つ目の「論理を追う」と4つ目の「著者の前提を探る」はとても重要なので、詳しく探っていきたいと思います。
本書はこの章の最後に、この批判的読書法を使って、実際に新聞に書かれた文書をどうやって批判的に読めばいいか具体的に考察しています。
これは新たな視点が得られて、一読の価値ありです。