日本辺境論 内田樹著 ①

 本書は、日本とはどういう国なのか、日本人とはどのような特性を持った民族なのか、ということを「辺境」という補助線を引いて徹底的に論じた本です。

「辺境」とはどういう意味なのでしょうか。

それは「中央」というものがまずあって、それから遠く離れたものと言う文字通りの意味です。

中心から遠ざかっている国、辺境の国。

中心にはなれない国、むしろ中心から遠ざかろうと努力する国。

それが日本なのです。

一見、「辺境」と聞くとネガティブな意味に聞こえるかもしれません。

取るに足らない、ローカルな国や民族と感じてしまうかもしれません。

もっとも、「辺境」であるデメリットももちろんあるのですが、逆に日本がその「辺境性」ゆえに大きなメリットを獲得していることも事実なのです。

そして、その「辺境性」は日本人に血肉化されているため変えようと思っても変えられないものであり、むしろ「辺境」の特性を生かすことで日本文化を世界に誇るものにしていくことができる、と著者は考えます。

 本書は1章「日本人は辺境人である」、2章「辺境人の学びは効率がいい」、3章「機の思想」、4章「辺境人は日本語とともに」の4部構成となっています。

では1章「日本人は辺境人である」です。

 まず、著者は「辺境人」という言葉の定義をしています。

引用します。

『ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、もっぱらその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。』

 私たち日本人は物事を判断したり、行動したりするとき、何が正しいのかを論理的に考えて判断するよりも、「絶対的価値体」つまり、権力を持っている者や、物事をよく知っている者を探り当て、それに近づくことに重きを置く傾向があります。

私たちの周りでも、そのような行動はよく見られます。

会議の場で自分は反対意見を持っていたとしても、場の空気が賛成であれば、自分の考えは押し殺してその空気に流されてしまったりします。

また、企業の隠蔽体質もそうです。

長年、耐震基準を大幅に下回る値で作られてきた建物が、阪神淡路大震災によって倒壊したときに露見しました。

企業の従業員の中には普通に考えてこのままではいずれ世間にばれ、企業の信用が落ちることはわかっていたはずです。

ですが、そのことを話題にできない空気があり、指摘できなかった。

自分自身で物事の正しい判断を下すより、「権力のある人」もしくは「物事の正しい判断を下す人」を探り当て、そちらに近づく。

特に有事の場合はそのようになりやすいのです。

著者はルース・ベネディクトの「菊と刀」を引用しています。

『長年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍の爆撃機に同乗して軍事目標に誘導した。それはあたかも、新しい頁をめくるかのようであった。新しい頁に書いてあることと、古い頁に書いてあることとは正反対であったが、彼らはここに書いてあることを、同じ忠実さで実践した。』

日本兵の兵士たちは、欧米の兵士たちとは違い、捕虜になると自ら進んで敵軍に協力しました。

それは命が惜しいからではなく、そのつど、その場において自分より強大なものに対して、屈託なく親密に、無防備に振舞う傾向が日本人にはあるからです。

自分の思想よりも、場の親密性を優先する態度、その時の支配的な権力との親和を優先する態度、そういったものが日本人の国民性にはあります。

 著者は「辺境」という概念も定義しています。

『「辺境」は中国との対概念です。「辺境」は華夷秩序コスモロジーの中において初めて意味を持つ概念です。

 世界の中心に「中華皇帝」が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方にひろがる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。(略)この華夷秩序の位階でいうと、日本列島は東夷の最遠地にあたります。

 中華思想は中国人が単独で抱いている宇宙観ではありません。華夷の「夷」にあたる人々もまた自ら進んでその宇宙観を共有し、自らを「辺境」に位置付けて理解する習慣を持たない限り、秩序は機能しません。』

 中国と言う中心があって、その端である辺境に日本がある。

そしてその、中心の中国から見た辺境の日本人という宇宙観を、日本人をも自ら進んで取り入れています。

今から約1800年前、邪馬台国の女王である卑弥呼は、中華皇帝が存在する魏に朝貢して「親魏倭王」の称号を得ています。

倭という国の王であることをわざわざ魏帝から認知されなければならない、ということから推しても、中華思想の宇宙観を日本列島の民族は共有していたことが伺えます。

『列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発した』のです。

 また聖徳太子が隋の煬帝に遣隋使として親書を送りました。

この時の親書はよく知られているように、「日出づる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」からはじまります。

対等外交を目指したものと考えられており、これを見た煬帝は激昂したと伝えられています。

しかし、聖徳太子はわざわざ隋を挑発して外交関係を危機にさらす意図があったとは思われません。

文明の摂取のために、遣隋使として多数の留学生を派遣していましたし、中国との政治的ルールも熟知していたと思われます。

では一体、なぜそのようなことを聖徳太子はしたのか。

著者は「危険な思弁を弄したい」と断ってますが、『先方が採用している外交プロトコルを知らないふりをしたという、かなり高度な外交術ではないかと思うのです。というのも、先方が採用しているルールを知らないふりをして「実だけを取る」というのは、日本人がその後も採用し続けてきて、今日に至る伝統的な外交戦略だからです。』

そのような政治的ルールは知っているが、それを知らないふりをして「実だけを取る」

日本列島は中華皇帝からは遠く離れているため「王化」が及ばない。

「王化」が及ばないので、どのようにするのが正式なのかがわからなくそのような言い訳が成り立ち、それ故に知らないふりをすることでこちらの都合で好きなことができる、というメリットがあります。

聖徳太子はそれを意識的にしたのかもしれませんが、現代になるとそれが深く内面化されて無意識にやってしまいます。

『九条と自衛隊の「矛盾」について、日本人が採用した「思考停止」はその狡知の一つでしょう。九条も自衛隊もどちらもアメリカが戦後日本に「押し付けた」ものです。九条は日本を軍事的に無害化するために、自衛隊は日本を軍事的に有効利用するために。どちらもアメリカの国益にかなうものでした。ですから、九条と自衛隊アメリカの国策上は全く無矛盾です。「軍事的に無害かつ有用な国であれ」という命令が、つまり、日本はアメリカの軍事的属国であれということがこの二つの制度の政治的意味です。

 この誰の目にも意味の明らかなメッセージを日本人は矛盾したメッセージに無理やり読み替えた。(略)アメリカの合理的かつ首尾一貫している対日政策を「矛盾している」と言い張るという技巧された無知によって、日本人は戦後六十五年にわたって、「アメリカの軍事的属国である」というトラウマ的事実を意識に前景化することを免れてきました。』

 九条と自衛隊の首尾一貫している対日政策を、矛盾していると日本人は読み替えた。

首尾一貫していると読んでしまうと、それは日本はアメリカの軍事的属国であるということを認めてしまうからです。

だから、日本はそれを矛盾していると読み替えて意識に上らないようにしました。

そのように読み替える理由は何なのでしょうか。

それは聖徳太子と同じように、知らないふりをして(今回は無意識的に)自分をだまし、自己都合でやりたいことができるからです。

このような辺境であるメリットは第二章以降で詳しく見ていきますが、辺境と言う劣位に自分を落とし込んで、それを逆手にとってメリットを取るという戦略は私たち日本人の内に深く内面化されています。

そして、著者はその辺境的性格をどうすることもできないし、欠点ばかりなのではないから、とことん辺境で行こうではないか、と提案しています。