バカの壁 養老孟司 ③

 このような「バカの壁」と密接に関係しており、そもそもその根本原因となっているのが「無意識」、「身体」、「共同体」である、と著者は言います。

『「意識と無意識」は脳の中の問題、「身体と脳」は個体の問題、そして「共同体」は社会の問題です。

現代の日本では、それぞれにおいてよく似た現象が起きています。その現象を意識しない、または忘れてしまっていること自体が、日本人の抱えている問題ではないか、と考えられるのです』

「無意識」、「身体」、「共同体」について三つとも同じような現象が起きているが、それらの重要性を忘れていることが現代の問題だと著者は言います。

一つ一つ見てみましょう。

まずは個体としての「身体」の問題です。

私たちは身体を一種の鎖のように考えています。

「身体の制限がなければ、私はもっと何でもできる」と考えています。

それはある程度は本当でしょう。

車を使えば、二本の足で歩くより短時間で遠くまで行ける。

携帯電話があれば、近くまで行かなくても話し合うことができる。

インターネットは脳化社会の典型です。

人間の思考は自分の身体ではできないことを考え、身体の代わりになるものを発明していきました。

そうなると、当然、自分の身体を忘れてしまうことになります。

著者は長年、地下鉄サリン事件という大事件について、どう考えるべきか整理がつかなかった、と言います。

明らかにインチキな教祖に、なぜ信者は惹かれていったのかと。

それから、竹岡俊樹氏の『「オウム真理教事件」完全読解』を読んでようやく納得ができたと言います。

『彼は、信者や元信者らの修行や「イニシエーション」についての体験談を丹念に読みこみました。その結果、「彼ら(信者)の確信は、麻原が協議として述べている神秘体験を彼らがそのままに追体験できることからきている」と述べています。つまり、麻原は、ヨガの修行だけをある程度きちんとやってきた、だからこそ修行によって弟子たちの身体に起こる現象について「予言」もできたし、ある種の「神秘体験」を追体験させることができたのだ』

地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教も、現代人が身体を忘れてしまったことが大きな原因なのだ、ということなのです。

そもそも脳も身体の一部です。

その身体の一部である脳だけを積極的に発展させ、その他の身体が忘れられていることが問題なのです。

私たちが思考するときは、身体を使って考えています。

目で見たり、何かを触ったり、身体を動かして考えています。

なかなか答えが出ない問題であれば、歩いて考えたり、声に出してみたり、紙に書きだして考えたりすると思います。

何をするにしても身体と脳は関連しあっています。

インプットするときは身体を使って行いますし、アウトプットをするときは身体を使ってしか行えません。

しかし、私たちはその身体を疎かにしているのかもしれません。

身体を疎かにして脳だけで考えているから、偏った考えをしたり、上手く知性が働かないのかもしれません。

もっと身体を使って、五感をフルに活用すれば、「バカの壁」を避けることができるかもしれません。

人工知能に人間とそっくり同じ知能を植え付けることができるか、という問いがあります。

ある脳科学者はこう答えました。

「できるかもしれない。ただし、人間と同じ身体が必要だ」

人工知能なら問題に対する答えを即座に出したり、自ら思考して学習したりすることはできるでしょう。

しかし一見ほとんど関係のないものを組み合わせてアイデアをだし、それがどのように有効なのかと説得力を持って伝えること、またそもそもの本質的な問いを立てるというようなことは人工知能ではできなく、身体があるからこそ私たちに行えるものなのです。