日本辺境論 内田樹著 ②

 では二章、辺境人の「学び」は効率がいい、です。

一章で見たように、私たち日本人は辺境的性格を有しています。

古来から中国と言う中心があり、王化の光が同心円状にひろがっているので、その辺境にいる日本人はその光が届かない蕃国であるという宇宙観を共有しています。

つまり、私たちは常にその他から規範を求めなければ、自分の立ち位置を定めることができません。

その他を参照して自分を規定する。

著者は「虎の威を借る狐」に例えています。

これはご存じだとは思いますが、ある日、虎が狐を捕まえました。

食べられそうになった狐は虎に言いました。

「私は天帝の使いなので食べてはいけません。もし、そのことが信じられないなら、私の後についてきなさい」

そこで虎は狐の後について歩いていきました。

二匹が歩いていると、そこらで出くわした獣たちがさっと逃げだすことに虎は気づきました。

「なるほど、獣たちは確かに狐を恐れているのだな、天帝の使いというのも真実なのかもしれない」と虎は考えました。

しかし、本当は獣たちは、虎を見て逃げていたのです。

もちろん、日本人は狐のほうです。

そしてこの虎は、中国やアメリカやヨーロッパを参照するといった政治的なことだけではなく、私たち個人的なふるまいにも表れているのです。

では引用します。

『たとえば、私たちのほとんどは、外国の人から、「日本の二十一世紀の東アジア戦略はどうあるべきだと思いますか?」と訊かれても即答することができない。「ロシアとの北方領土返還問題のおとしどころはどのあたりがいいと思いますか?」と訊かれても答えられない。尖閣列島問題にしても、竹島問題にしても、「自分の意見」を訊かれても答えられない。もちろん、どこかの新聞の社説に書かれていたことや、ごひいきの知識人の持論をそのまま引き写しにするくらいのことならできるでしょうけれど、自分の意見は言えない。(略)「そういう難しいこと」は誰か偉い人や頭のいい人が自分の代わりに考えてくれるはずだから、もし意見を徴されたら、それらの意見の中から気に入ったものを採用すればいい、と。そう思っている。

 そういう時にとっさに口にされる意見は、自分の固有の経験や生活実感の深みから汲みだした意見ではありません。だから、妙にすっきりしていて、断定的なものになる。』

 私たちは難しいことについては自分の意見を述べられず、知識人などの意見を採用してあたかも自説を述べているようにすることがあります。

何が正しいか自分で考えようとせず、誰が正しい意見を持っているかに注力をします。

集めた情報を自分で判断して、咀嚼して、形作るということを苦手としています。

そのような時、私たちの口調は断定的なものになる傾向があります。

断定的なものなので、議論になった時に他人と意見をすり合わせるということができません。

全面的に自分の主張を貫き通すか、全面的に降伏するしかありません。

これは当然そうなります。

他人と意見をすり合わせるためには、「この部分はこちらが引いて相手の言い分を受け入れるが、その代わりこの部分は自説を通してもらおう」と言うようにある程度妥協することが必要になるからです。

 著者は言います。

『「虎の威を借る狐」に向かって、「すみません、ちょっと今日だけ虎縞じゃなくて、茶色になってもらえませんか」というようなネゴシエーションをすることは不可能です。狐は「自分でないもの」を演じているわけですから、どこからどこまでが「虎」の「譲ることのできない虎的本質」でどこらあたりが「まあ、その辺は交渉次第」であるのか、その境界線を判断できない。(略)

 「ネゴシエーションできない人」というのは、自説に確信を持っているから「譲らない」のではありません。自説を形成するに至った経緯を言うことができないので「譲れない」のです。(略)自説が今あるような形になるまでの継時的変化を言うことができない』

 このような「虎の威を借る狐」的、国民性を持っている日本人ですが、このように悪い方向に病態が出てくることもあれば、良い方向に出てくるものもあります。

良い方向に出た事例が、「学び」なのです。

 日本人の「学び」というメカニズムについての最良の例を、著者は能楽の「鞍馬天狗」と「張良」から引いています。

張良」は兵法伝授が主題となっています。

 漢の高祖の臣下である張良は、ある日、馬に乗った黄石公に出会いました。

黄石公は馬上から落とした沓を拾って履かせよと張良に言います。

張良はその気高い雰囲気から只ものではないと感じ取って、言われた通り沓を取って履かせます。

すると、黄石公は後日またここに来れば兵法の奥義を伝授しようと約束します。

後日、張良と黄石公は会います。

黄石公は今度は両方の靴を馬上から落とし、取って履かせよと言います。

張良は言われた通り取って履かせた瞬間に兵法奥義を会得する、そのような物語です。

 黄石公は張良に二度、馬上から靴を落とし、それを取らせて履かせます。

張良はそのとき、「これは何かのメッセージだ」と考えた、と著者は言います。

一度だけなら偶然かもしれないが、二度続いたということはこれは何らかのメッセージなのではないか、と張良は考えます。

そして、張良と黄石公の間には兵法伝授の間柄しかないのだから、これは兵法に関するメッセージなのだと、張良は考える。

そして、二度目に靴を拾って履かせたとき、瞬間に兵法奥義を会得します。

瞬間にということは、何かコツコツ努力して手に入れるものではありません。

兵法奥義とは「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」と師に向かって問うことそれ自体なのです。

兵法極意とは学び方を学ぶというメタ的なことなのです。

著者は書いています。

張良の逸話の奥深いところは、黄石公が張良に兵法極意を伝える気なんかまるでなく、たまたま沓を落としていた場合でも(その蓋然性はかなり高いのです)、張良は極意を会得できたという点にあります。メッセージのコンテンツが「ゼロ」でも、「これはメッセージだ」と言う受信者側の読み込みさえあれば、学びは起動する。

 この逆説は私たち日本人にはよくわかります。気の利いた中学生でもわかる。でも、この程度の逆説なら「気の利いた中学生でもわかる」のは世界でもかなり例外的な文化圏においてである、ということはわきまえておいたほうがいいと思います。

私たち日本人は学ぶことについて世界で最も効率のいい装置を開発した国民です。』

 弟子は師の一挙手一投足から学ぶことができます。

師は弟子から見て意味のあることを教えてくれなくても、師が意味のないことをするはずがない、教えがあまりにも深遠すぎて、私には意味を読み取れないだけだ、という心構えがあれば、そこに何らかの学びが起動します。

師が教えること以上のことを、弟子は学び取るのです。

 このように、師弟関係という学びを起動させるとき、「虎の威を借る狐」的性格を持っている国民性は類を見ない装置を開発するのです。