寝ながら学べる構造主義 内田樹 

 本書は難解な思想である構造主義を、できるだけわかりやすく「寝ながらでも学べるくらい」平易に解説した本です。

確かに構造主義と呼ばれている思想家の原著を読んで「頭がくらくらして頭痛がする」私でさえも、「なるほどな」と理解できます(これだけ平易に理解できていいのだろうかと逆に懐疑的になってしまうくらいです)。

ただ、この「わかりやすい」というのは「簡単に」とは違う、と著者はまえがきで言っています。

「簡単に」というのは、複雑な概念や論理などを誰にでもわかるようにあらゆるものをすぱすぱと削って、一般知識のない読者にも自分のものさしで理解できるようなことを言います。

自分の思考の枠組みを変革しないでも理解できるような形に提供するのです。

削ったものの中に本当は重要なことがあるとしても、「簡単に」説明するためにはやむを得ないという姿勢がそこにはあります。

しかし、「わかりやすい」というのは違います。

「わかりやすい」は複雑なものを複雑なまま提示し、読者に自分のものさしの長さを変える努力を要請するのではあるが、とはいえ見晴らしがよく呑み込みやすい形に提供する、そのようなことを言います。

ですので、入門書によくあるような「この本を読む前と読んだ後と、特に何も変わらない。本によって少しでも何かが変わったわけでなく、ただ本が自分を通過しただけ」ということがありません。

ですので、わかりやすいとはいえ、そこには読者の努力が必要になるでしょう。

 ところで構造主義とはどんな思想なのでしょうか。

少し長いですが引用します。

構造主義とは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視野に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない』

『私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです』

なるほど、わかりやすいです。

私たちが考え感じることは、自分が主体的に決定しているように見えるが、その実、社会や環境などによって決定させられている。

でも、それって現代の私たちには当然のように感じられます。

立場が違えば感じ方も違う、時代が違えば考え方も違う、環境が違えば見方も変わってくる。

大学生の感じ方、江戸時代の考え方、日本が見る中国の見方とアメリカが見る中国の見方。

これを当然と思えるのは私たちが「ポスト構造主義」の時代に生きているからです。

著者によれば「ポスト構造主義」とは『構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義者の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代』なのです。

私たちの時代は構造主義が深く内面化され、無意識のうちに構造主義の思想が出てきてしまうのですね。

では、そのような「自明のもの」をあらためて研究する意味があるのでしょうか。

自明のものであればその名の通りわかっているのだから、私たちが考えていることと離れたものを研究したほうがいいのではないでしょうか。

むしろ「自明なもの」であるからこそ取り上げる意味がある、と著者は言います。

『学術に託された大切な仕事の一つは、私たちにとって、「自明のもの」であり「自然のもの」であり、「そんなの常識」として受容されているような思考方法や感受性のあり方が、実は、ある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだ、ということを明らかにすることだからです』

つまり、現代の私たちが「自明のもの」と思っているものは、現代の私たちだから「自明のもの」なのであって、他の時代であれば「自明のもの」になりません。

なぜ私たちは「自明のもの」を「自明のもの」と考えてしまうのか、それを考察することで、その自明性を批判し、解体し、また再構築できるということです。

私が考えている常識は、本当は常識でもなんでもなかった、ということは常識とはそもそもどこからきて、どのように私たちに根付いたのか、そういったことを学ぶことができます。

 さて、著者は構造主義について、その始祖であると言われているソシュールと、構造主義四銃士と言われるフーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンを中心に話を進めます。

 では、構造主義の始祖であるソシュールです。