進化しすぎた脳 池谷裕二 ①
脳の研究者の本を読んでいると、それは脳の構造だけにはとどまらず、意識とは何か、見ているとは本当に見ているといえるのか、心とは何なのか、といった心理学的、哲学的な考察まで思考が進んでいきます。
それは脳というものが視覚や意識や心や言葉などといったものと密接に関係しているからです。
その脳の研究が現代思想を裏書きして証明したり、時には現代思想のはるか先まで思考が飛んでいくことがあります。
哲学が科学の問いを導き、科学が哲学を誘惑します。
本書はそのような哲学と科学が融合した本です。
この本は著者が慶應義塾ニューヨーク学院高等部で行った講義が元になっています。
記憶や脳のメカニズムなど、著者が専門としている大脳生理学の分野にとどまらず、人間とコンピュータとの違いは何か、意識とは何か、心理学、哲学的なことまで幅広く、脳から考えた知見を披露しています。
私たちはなぜすぐに忘れてしまうのか、心はどのように発生するのか、言葉を獲得したことで人間はどのように発達したか、そのようなわくわくするような講義を追体験することができます。
第一章の主題は「人間は脳の力を使いこなせていない。
第二章は「人間は脳の解釈から逃れられない」
第三章は「人間はあいまいな記憶しか持てない」
第四章は「人間は進化のプロセスを進化させる」
それぞれ解説したいと思います。
では、第一章、「人間は脳の力を使いこなせていない」です。
よく「人間は脳の10%の力しか使いこなせていない」、なんて言われます。
これは私たちにほとんど無限の可能性を秘めてることを示唆してきました。
まだ10%しか使っていないのだから、私たちはもっと賢く、より知的になれるはずだという風にです。
しかし、10%かはともかく、人間の脳はあまりにも進化しすぎていて、それを上手く使いこなせていないようです。
『ある統計によると、頭蓋骨の中の95%が空洞という重症の水頭症でも、ひどい障害があらわれる人はわずか10%に満たなくて、50%の人はIQが100を超えているという』
つまり、脳の95%が損失していたとしても、残りの5%でほとんどの水頭症の人は健常者と同じ生活ができるということです。
ということは、私たちが通常生活する分には、こんなに脳の大きさが要らないと考えられます。
中にはIQが126あって、「大学の数学科で主席を取るほどの人もいた」そうです。
では、なぜ脳の大部分の力を使いこなせないのでしょうか。
何が原因で、私たちは脳の可能性に蓋をしているのでしょうか。
それは身体が原因だと、著者は言います。
『進化の教科書を読むと、環境に合わせて動物は進化してきた、と書いてあるけど、これはあくまでも体の話。脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それ故に、全能力は使いこなされていない、と僕は考えている。能力のリミッターは脳ではなく体というわけだ』
脳というのは場所によって役割が異なっています。
視覚を処理する場所、音を聞く場所、指で触れて感知する場所など、役割によって対応する空間的部分が違っています。
このように役割によって分かれているのは人間の中では脳だけであって、その他の臓器は部分に分かれていません。
心臓や肝臓や肺などは「特定のこれには、この部位を使う」という風に分かれているわけでなく、どのようなものでも全体として処理しています。
しかし脳は違います。
脳は視覚の処理は後ろのあたり、聴覚は横のあたりで処理する、と分けられています。
さらにその中でもまた細分化されています。
聴覚でいえば、「500ヘルツの音に反応する場所はここ、1000ヘルツに反応する場所はここ、1500ヘルツに反応する場所はここ」、という風に、周波数によっても活動する脳の部分が異なっているのです。
ということはつまり、ピアノを習ったり音楽を聴いたり、聴覚を刺激すればその聴覚の脳の部分が、視覚を刺激すれば脳の視覚の部分が発達するということです。
実際、ピアニストは指に関する脳の部位が発達しています。
ここで、著者は興味深い例を書いています。
『生まれながらにして指がつながったままの人、例えば人差し指と中指がつながったまま生まれる人が、たまにいる。指が4本。そういう人の脳を調べてみると、5本目に対応する場所がないんだ。わかる? これ、取っても重要なことを意味してるよね。つまり、人間の身体には指が5本備わっていることを脳があらかじめ知っているわけじゃなくて、生まれてみて指が5本あったから5本に対応する脳地図ができたってことだ。ところが、生まれた時に4本しかなかったら、脳には4本に対応する神経しか形成されない。』
要するに、脳の発達は最初から決まっているわけでなく、多くの部分が後天的なのです。
指が4本しかなければ4本分の神経しか形成されない。
逆に言うと20本あれば、20本分の神経が形成されるということです。
このように脳の発達、能力の上昇には、身体が密接に関係しているのです。
しかし、私たちには手が5本ずつ、足が2本、目は2対、聴覚は20ヘルツから20000ヘルツまでしか聞こえなかったりなど、身体によって制限されています。
身体によって、脳の能力を最大限生かし切れていないのです。