バカの壁 養老孟司

 大ベストセラーであり、発売された2003年の流行語にもなった「バカの壁」を今回は解説したいと思います。

まず、「バカの壁」とはどういう意味なのでしょうか。

おそらく多くの人が「バカの壁」から最初に受ける印象は、世の中には「賢い人」と「バカの人」がいて、その「バカの人」が陥る思考を「バカの壁」と言っているんじゃないか、と思ってしまうのではないでしょうか。

つまり、「バカの人」と「賢い人」を隔てている壁を「バカの壁」だと考えてしまうかもしれません。

ある意味そうなのですが、しかしその考えの中には、不動の「バカの人」と不動の「賢い人」がいて、「こうこうこういう考えを持つ奴はバカだ」という固定的な考えが潜んでいます。

「賢い人」はその壁にぶち当たらないが、「バカの人」はぶち当たる。

「バカの人」はその壁にぶち当たるからバカなのであって、その壁はどのような壁なのかがこの本には書いてある、と思うかもしれません。

ですが、本書をしっかりと読めば、そうでないことは明白です。

そのような単純なことではないのです。

バカの壁」について、著者の言葉を引用します。

「結局我々は自分の脳に入ることしか理解できない。つまり、学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳だ。そういうつもりで述べたことです」とあります。

つまり、自分は理解できることしか理解できない。

ただ、人間は理解できないことを理解しようと望むことはできますが、それは努力が必要で時間のかかることですから、そのような困難な自分を作り変えるようなことはあまりしない。

しかも、理解できないことを理解しようと望んでいる人であっても、環境や常識などが私たちの思考を制限し、支配し、理解したつもりになってしまうことがある。

脳の解釈によって、理解できたりできなかったりする。

そのようなことを言います。

私たちはどれだけ努力しても、どれだけそうならないように気を付けても、どうしても「バカの壁」にぶつかってしまうことは避けられないのです。

なぜかというと、それは私たちの常識や環境や無意識がそうさせてしまうからなのです。

常識や環境はともかく、無意識を意識するというのはできないことです。

ですので、私たちが考えていることや感じていることは、「正しいことなのか」、「違う視点では考えられないか」、「そう考えることで私は一体何を自分に思い込ませたがっているのか」を、常に考え直さなければなりません。

ここまでの話は抽象的でわかりづらいかもしれませんが、本書で著者は様々な「バカの壁」の具体例を挙げています。

その一つに、妊娠から出産までのドキュメンタリーを大学生に見せた授業があります。

そのビデオを見た大学生は、男子と女子で反応がかなりはっきりと違うと書いています。

『ビデオを見た女子学生のほとんどは「大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました」という感想でした。一方、それに対して、男子学生は皆一様に「こんなことはすでに保健の授業で知っているようなことばかりだ」という答え。同じものを見ても正反対と言ってもよいくらいの違いが出てきたのです。これは一体どういうことなのでしょうか。(略)その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。要するに、男というものは、『出産』ということについて実感を持ちたくない。だから同じビデオを見ても、女子のような発見ができなかった、むしろ積極的に発見をしようとしなかったということです。』

 男子は同じものを見ていても、女子とは受け取り方が違っています。

ドキュメンタリー番組を、自分が知っていることという枠組みに無理やり押し込み、定型化しようとしました。

「そんなことは知っているし、今さら見せられても」というのが男子の率直な感想なのでしょう。

しかし、保険の授業で習ったことと、実際に妊娠から出産までの映像を見ることは、本当は情報量が全然違うはずです。

野球を本で読んで学習するのと、実際に打席に立ってスイングをするのでは全然違うようにです。

「(男子は)積極的に発見をしようとしなかった」と著者は書いてますが、これは本当にその通りで、自分のその時の感情、関心などによって、むしろ発見しないように努めます。

怠惰のせいで無知なのではなく、勤勉の結果の無知なのです。

これは私たちにも無意識のうちに起こっています。

見たくないものを見ないように無意識のうちに努力する。

それは「バカの壁」なのです。