進化しすぎた脳 ②

 第二章、「人間は脳の解釈から逃れられない」です。

さて、私たちは普通、世界という確固としたものがあって、それを解釈したり研究したりしている、と思っています。

人間とは関係なく、客観的な、それ自身で自立した世界というものが先にあって、私たちはそのようなものを見ていると思っています。

そういった観念から世界を研究して、「万有引力の法則」や「地動説」など普遍的な法則が出てきたのだと考えます。

ですが、著者は本当にそうなのだろうかと問いを投げかけます。

脳を研究すればするほど、私たちが見ている世界は私たちと関係なく自存しているわけでなく、人間の脳が解釈している世界を私たちは見ているのだ、と著者は言います。

『まず世界がそこにあって、それを見るために目を発達させた、という風に世の中の多くの人は思っているけど、ほんとは全く逆で、生物に目という臓器ができて、そして、進化の過程で人間のこの目が出来上がって、そして宇宙空間にびゅんびゅんと飛んでいる光子(フォトン)をその目で受け取り、その情報を解析して認識できて、そして解釈できるようになって、はじめて世界が生まれたんじゃないか。

 言ってることわかるかな? 順番が逆だということ。世界があって、それを見るために目を発達させたんじゃなくて、目ができたから世界が世界として初めて意味を持った。』

 要するに、客観的な世界があるのではなくて、私たちの脳によって世界は作られている、ということです。

世界は主観的なものである、ということです。

世界は人間の脳が解釈したものであり、脳の構造の限界の産物であり、脳が作り出したものです。

例えば人間は赤・緑・青の3原色で色を識別しています。

その他の色、黒や黄色や紫色などは、その3原色を絵の具のように組み合わせることによって、私たちは目にすることができます。

ですが、虫は4原色で色を識別できます。

赤・緑・青・紫外線の4原色です。

紫外線があることによって、人間と同じものを見ていてもそれは全く同じものにはなりません。

ある蝶々の黄色い羽根を紫外線カメラで見ると黒っぽく見えることがあります。

紫外線によって色の配色は変化します。

ですが、それは蝶々に紫外線を通すカメラを使って、人間の脳で見たからそうなるのであって、本当に虫から見たらその蝶々の羽が黒っぽく見えているのかはわかりません。

最終的には人間の脳で解釈しているからです。

また、そのような無時間的な話だけでなく、動きといった時間的なことでも私たちは脳の解釈から逃れられません。

著者はネイチャーという雑誌に掲載された論文を紹介しています。

その論文で行った実験は凄く単純です。

参加者に正方形から長方形に一瞬で切り替わる動画を見せます。

パソコンからスクリーンに映して、正方形と長方形をぱっと入れ替えるわけです。

スライドを切り替えるわけですから、そこにはほとんど時間がありません。

ですが、それを見せられた被験者は、正方形が徐々に長方形に変化したように感じられると言います。

正方形が徐々に伸びてきて、長方形になったようにです。

実際には動いてはいないのに、あたかも動いたように見えるのです。

例えるならぱらぱら漫画のようなものです。

一つ一つは違うもので、連続性もないものです。

ですが、それをぱらぱらとめくると人が動き、風景が移動し、会話が成り立ちます。

この時、人間は一瞬で切り替わったものを、連続性のある、意味のあるものとして錯覚してしまいます。

論文では、この錯覚しているとき、実際に動きを感じる脳の部位が活動していると伝えています。

それは本当は動きがなく、一つのものから別のものに切り替わっただけであるのに、私たちの脳は動きがあると錯覚して、そして動きを感じる脳の部位が働いているのです。

つまり、脳が動きを感じたら、それが本当は静止していようが何していようが動きそのものと解釈してしまいます。

このように、外の世界がどのようなものであろうと、様々なものがどろどろと絡まりあったマグマのような世界であっても、私たちの脳がいったん解釈すれば外の世界は解釈したもの以外の何物でもない、ということになります。

『世界は外にあるんじゃなくて、あくまでも脳の中で作られるわけ』なのです。