バカの壁 養老孟司 ④

 次に社会の問題である「共同体」です。

著者は書いています。

「昨今は不況のせいで、どこの企業でもリストラが行われている。しかし、本当の共同体ならば、リストラということは許されないはずなのです。リストラは共同体からの排除になるのですから、よほどのことがないとやってはいけないことだった。

本来の共同体ならば、ワークシェアリングというのが正しいやり方であって、リストラは昔でいうところの「村八分」。だから、それを平気でやり始めているあたりからも、企業という共同体がいかに壊れているか、ということがわかる。」

 現在は個人化しています。

隣近所の住民とは付き合いがなく、私は自分がやりたいことをやるのだから、周りは邪魔しないでくれ、という感情になっている。

個人化しているというのは、言ってみれば、個人は自己責任でやるということ、もし上手くいけば利益は個人一人のものになるが、失敗すればそれは自己責任だから文句を言う筋合いはない、という論理なのです。

このような個人化は格差を増長することになります。

富める人はますます富み、貧しい人はますます貧しくなる。

それも当然のことなのです。

利益を上げた人は、その利益を使ってさらに伸ばすことができますが、失敗した人はそれを支えるセーフティネットがないのですから。

共同体というのは、その共同体の成員を助け合いながら、共同体自体を維持するのが目的です。

その成員の中にはお金を稼ぐことが得意な人もいれば、人をまとめ上げることが得意な人もいますし、また逆に毎日がかつかつで生きている人もいます。

様々な能力、特性を持った人がいます。

そして、その共同体の成員は自分ができることを他人にし、自分ができないことは他人にやってもらうことで、その共同体を維持しようとします。

共同体では自己責任と言う個人での問題なのではなく、チームでの問題なのです。

ですので、何かに失敗しても共同体であれば支えてくれますが、それがなくなった現代のような個人化であれば自力で這い上がるしかありません。

しかし、それは容易ではありません。

一度はしごからかけずり落ちると、そのはしごは外されもう上ることが困難になるのです。

そして格差社会で落ちた人も、その個人化の論理で生きていることで、格差社会の発展を増長する一端を担っているのです。

自分が陥ったシステムに、自分自身が加担しているのです。

 三つめは脳の問題である無意識です。

フロイトが無意識を発見した、という話の後、著者はこう書いています。

「もともと無意識というのは、発見されるものではなくて日常存在しているものです。なぜならば、我々は、毎日寝ています。寝ている間は誰もが無意識に近い状態です。夢を見ているといっても、覚醒しているときとは全く異なる、低下した意識ですから。

 この寝ている時間というのを、今の人はおそらく人生から外して考えていると思われます。脳によってつくられた年に生活している、というのもその理由の一つでしょう。

 若い人のライフスタイルを見ていると顕著です。彼らが主な客層であるコンビニは二十四時間営業。草木が眠る時間でも、コンビニだけは煌々と明かりをともし、若い人たちがたむろしている。要するに、彼らにとっては寝ている時間は存在していない時間であることの象徴です。

 なぜ寝ている時間がないのか。寝ている暇をもったいないと思うのか。それは、無意識を人生の中から除外してしまっているからです。意識が中心になっている証拠なのです。」

 私たちは意識している時間=起きている時間だけを生きている時間ととらえる傾向にあります。

そこには無意識の時間=寝ている時間は無駄である、という考えがあります。

しかし、本当に無駄なのかと著者は問います。

本当は無意識と意識は密接に関係しあっているのではないか、と。

悩み、苦しみ、煩悶しているとき、私たちは意識の力でそれらを取り除こうとします。

なにかはっきりとしない、どっちつかずのことは気持ち悪くなって、意識の力で強引に結論を出したがります。

ですが、それらは失敗するか、あるいは新しい悩みを引き起こすことに多くの場合なってしまいます。

なぜなら、その悩み、苦しみ、煩悶というのは答えがあるというものではなく、その問いを考え続けることで、いつの間にかなくなるものだからです。

悩みや苦しみは事後的に、後になって初めてなくなっていた、と気づくものなのです。

しかし、意識だけに集中している人は、悩みを取り除くため安易に宗教に走ったり、確固とした答えを出したいがため、自分の都合の悪いところは意識的に見ないようにして、ゆがんだ結論を出してしまいます。

そこには意識を絶対視してしまう傾向があります。

ですが、私たちには無意識があります。

無意識を意識するというのは矛盾した無理なことですが、意識が絶対ではない、それが唯一ではないと意識することが重要なのではないか、と著者は問いかけます。

 このように、「身体と脳」、「個人化と共同体」、「意識と無意識」は、それぞれ関連しあっているのです。

けっしてどちらか一方だけでは上手くゆきません。

バランスが大事なのです。

こういった「バカの壁」を通じて、著者は私たちに問いを投げかけています。