人間関係をよくするルール

 現在の私たちは、必ず誰かとコミュニケーションを取り、誰かと取引をし、誰かと仕事をしなければなりません。

そこには絶対に他人が必要となります。

私たちは一人で生きることはできません。

食事をするのも、家を作るのも、お金を得るのも、趣味を楽しむのも、他者がいなければ、私たちは何もできないのです。

1人で生きることができないということは、人間が太古の昔にこの世に出現してから現在に至るまで、まったく変わりのない、一度も反したことのないことです。

たとえ言葉というものがまだ生まれていなかったり、共同体というものがなかったとしても、私たちは他者とつながらなければ存在できないのです。

私たちが生まれたということは、両親から命を贈与されたということです。

これはどの民族、どの歴史を取ってみても、間違いのないことです。

生まれた瞬間から、私たちは他者とつながっています。

生まれた瞬間に、他者から贈与されています。

そして、私たちはこの贈与されるということに畏敬の念を抱きつつ、返礼をしなければならないという負い目のようなものを持ちます。

この「負い目のようなもの」は、決してマイナスな感情というわけではなく、言ってしまえば自分に身に余る贈与をされたと感じて、返礼をしなければならないという心理的なものです。

この返礼は、だいたい二十数年後に、子供を作るという形で返礼されます。

贈与と返礼のシステムは、私たちのいたるところに出現しています。

人類学者のレヴィストロースによれば、親族構造はその典型だと言われます。

彼によれば、ある男が妻をもらうためには、誰か別の男から女を贈与されなければ手に入れることができない、といっています。

そして贈与された男は、返礼をしなければいけないという義務感のようなものを一緒に贈与されます。

これは当たり前のように聞こえますが、よくよく考えてみると、親族を、人間を存続させるためにはこのようなシステムでないと上手くいかないことがわかります。

贈与されなければ私たちは妻をもらうことはできませんし、返礼しなければならないという心理がなければ、そこで血統が途絶えてしまうでしょう。

もちろん返礼をすることが善であるとか、返礼をしないのが悪であるというわけではなく、ただそういうシステムにのっとって、人間は種を残してきたということです。

今の現代にとって、子供を残すという選択肢は一つの一例なのであって、社会に還元するなど、その他に多くの返礼の仕方があると思います。

また贈与と返礼は、親族構造以外にも、経済や、他者とのコミュニケーションでも行われています。

私たちは他者と「贈与と返礼」を繰り返して、人間関係を築き上げてきたのです。

ここから私たちが読み取れることは何でしょうか。

それは「私たちが手に入れたいものは、誰かから贈与という形でしか手に入れられない」ということではないでしょうか。

そして「誰かから贈与されるためには、私たちは他人に贈与しなければならないということではないでしょうか。

愛情が欲しいなら、先に愛情を贈与する。

友人とコミュニケーションを取りたいなら、先にこちらから話しかける。

お金が欲しいなら、何かを買ったり、寄付したりなど、先に贈与する。

これができれば、私たちは人間関係に悩まなくなるでしょう。