仕事ができる人はメタ認知能力が高い④
ではどうしたら、メタ認知能力は鍛えることができるのでしょうか。
鍛え方は4つあると思います。
1つ目は、常に「本当にそうなのだろうか、そもそもそれは正しいのだろうか」と、前提や常識、一般論を疑う癖をつける、ということです。
「会社の伝統的にこのやり方で仕事をしているが、本当にそれが効率的なのだろうか、そもそもこのやり方は今までやってきたから受け継いでいるわけで、誰も疑いをはさまなかったのではないか」などと考えてみます。
この「そもそも」というのは非常に使い勝手のいい言葉で、たいていの場合この「そもそも」をつけると前提や慣習を疑えるような思考になります。
そもそもこれでいいのか、そもそもそれは必要なのか、そもそも間違っていないだろうかなど、「そもそも」をつけて常に考えるようにしてみてください。
2つ目は意識は集中するのではなく、拡散させる、です。
私たちはいつでも「集中するのが大事だ、集中力がないからできないのだ」と集中という呪いにかけられています。
小さいころから、親や学校教育などによって、集中力が大事だと植え付けられています。
ですが、本当に大事なのは意識を集中するのではなくて、意識を拡散して他の事物を見たり、自分を客観的に顧みたりすることです。
意識を集中しながら客観的に見るというのはできないことです。
なぜならそれは望遠鏡で天体観測しながら、目の前のコップを認識するようなものだからです。
客観的にみるというのは、メタ認知では重要なことなので、この意識を拡散するということは非常に重要なことです。
3つ目は、自分の姿を見るようにする、ということです。
想像の中で、今、話している自分を俯瞰して見て、自分の背中を見て、自分では絶対に見えない後ろにある事物を見る訓練をすることです。
実際に、自分が肉体を持っている自分より少し上のほうにいて、そこから自分を眺めている視点を想像上で持つのです。
これは初めのうちは、なかなか上手くいかないでしょう。
ですが慣れてくれば、自分の顔が引きつっているのを見たり、自分の後ろを通った人の顔を見たりすることができます。
そうなれば、自分が見ている視点のそれを見ている視点、というメタ認知能力が養われます。
4つ目は本を読むことです。
なかでも、哲学はおすすめです。
哲学というのは、そもそも前提を疑ったり、本当にそうなのか、と考えたりしていくものです。
そして、その思考の軌跡が哲学書には書かれています。
そこから、どうしたら前提を疑えるのか、どうしたら問いを高次元な問いにできるのか、を学ぶことができます。
プラトンやカントが考えたことの前提を疑って、いろいろな哲学者が哲学を発展してきました。
また、ニーチェは同時代の人が当たり前だと思っていた、例えば「同情することは善である」などという道徳や倫理が、それは本当は当たり前なのではなく、単にその時代に固有の道徳なのであって、それは全くの真理ではないと見抜きました。
この考え方の視点は、現代の私たちにも脈々と受け継がれています。
私たちは、「例えば危険な国に戦争を仕掛けることは、仕掛ける側にとっては危険な国が暴走しないように抑え込むという理屈もわからないではないが、かといって、仕掛けられた側の罪のない人たちのことを思うと、そうやすやすと戦争をすることに賛成はできない」と、常識的には考えるだろうと思います。
ですが、100年そこそこ前では、危険な国に戦争を仕掛けることは当然なのであって、そこの罪のない人々という視点はほとんど見られなかったようなのです。
今からでは考えられないですが「危険な国の暴走を抑え込み、さらにそこに住んでいる一般人も開放する」という視点でしか物事を見られなく、おそらくその戦争に巻き込まれて死んだ一般人は「聖戦のためには多少の犠牲は仕方がない」と考えられていたのでしょう。
このように、哲学は私たちが当然と思っていることや前提を疑う、その思考の軌跡を学ぶことができます。
もちろん、哲学だけではなく、科学や文学などといったものも、私たちの常識を揺さぶってくれます。
興味のあることだけに縛られず、いろんなものに触れてみるほうが有益です。
本を読んで、自分で考えることができれば、私たちは結果的に仕事ができる人間になれるのです。