日本辺境論 内田樹 ④

 では第四章、「辺境人は日本語とともに」です。

私たち日本人は物事を判断したり、行動したりするとき、何が正しいのかを論理的に考えて判断するよりも、「絶対的価値体」つまり、権力を持っている者や、物事をよく知っている者を探り当て、それに近づくことに重きを置く傾向がある、ということをこれまで見てきました。

これは日本的なコミュニケーションでも当てはまります。

そこで話される内容が正しいか正しくないか、ということを論理的に判断するよりも、誰が物事をよく知っているかそのことに自分の思考を重点的に使います。

さらにこれが進んで、政治やテレビを見れば一目瞭然なように、日本的なコミュニケーションは事の正否よりも、どうやって上位者の位に立つことができるかを競い合います。

中身を吟味しないで、声の大きいほうが選ばれ、断定的な口調をするほうが優位になります。

著者は、これが日本語と言う言語の特殊性に由来するのではないかと書いています。

 では、日本語と他の言語とはどこが違うのでしょうか。

中国は表意文字だけ、他のほとんどの外国語は表音文字だけなのに対し、日本語はそれらのハイブリッドだということです。

『漢字は表意文字です。かな(ひらがな、かたかな)は表音文字です。表意文字は図像で、表音文字は音声です。私たちは図像と音声の二つを並行処理しながら言語活動を行っている。(略)日本人の脳は文字を視覚的に入力しながら、漢字を図像対応部位で、仮名を音声対応部位でそれぞれ処理している。記号入力を二か所に振り分けて並行処理している。(略)言語を脳内の二か所で並列処理しているという言語操作の特殊性はおそらく様々な形で私たち日本語話者の思考と行動を規定しているのではないかと思います。』

 漢字はその文字を見れば、だいたいどのような成り立ちで、どのような意味をしているのかがある程度わかる。

かなや英語やドイツ語やフランス語は、その文字を絵としてみても何も意味するところはありません。

そして、この表意文字表音文字は脳内の別々の部位を働かせて処理しています。

そのハイブリッドな処理の仕方こそが、日本人独特の思考や行動を規定しているのではないかと著者は言っています。

 それの際立った例がマンガである、と著者は言っています。

これほどまでに日本にマンガが普及し、極めて質が良く発展してきたのは、このハイブリッド言語が一躍買っています。

『養老先生のマンガ論によりますと、漢字を担当している脳内部位はマンガにおける「絵」の部分を処理している。かなを担当している部位はマンガの「ふきだし」を処理している。そういう分業が果たされている。(略)マンガを読むためには「絵」を表意記号として処理し、「ふきだし」を表音記号として処理する並列処理ができなければならないわけですが、日本語話者にはそれができる。並列処理の回路が既に存在するから。だから、日本人は自動的にマンガのヘビー・リーダーになれる。』

 日本列島はもともと無文字社会です。文字がありませんでした。

そこに漢字(真名)が入ってきて、漢字から二種類のかな(仮名)がつくられました。

ここにも辺境的性格が入っています。

外から入ってきたものを「真の」と名付け、それまで日常で使っていた音声言語を「仮の」と名付けたのですから。

外来のものを正統の座に付け、土着のものが隷属的な位置づけになる。

明治になると、英語やフランス語やドイツ語で書かれた文献が大量に翻訳されていきます。

外来の文献を輸入するとは、そこにはもともとなかった考え方や発想、思考法を取り入れるということです。

もちろん、それまでになかった考え方なので、元々の日本語では訳すことが不可能です。

そこで大量に訳語として言語がつくられました。

自然も社会も科学も主観も客観も概念も観念も命題も肯定も否定も理性も悟性も現象も芸術も技術も、そのときにつくられました。

このように日本は外来を受け入れることに抵抗がありません。

それは辺境的性格を有しているからです。

 一方、その時期の中国はそのようなことはできなかった。

先ほど挙げた訳語の多くは中国でも用いられました。

さらに、中江兆民はルソーの「社会契約論」をフランス語から直接漢訳しましたが、これを読んで辛亥革命の理論的基礎を築き上げました。

なぜ、中国は独自で訳語を作らなかったのでしょう。

『これまで中国語になかった概念や術後を新たに語彙に加えるということは、自分たちの手持ちの言語では記述できない意味がこの世界には存在するということを認めることだからです。自分たちの「種族の思想」の不完全性とローカリティを認めることだからです。ですから、中国人たちは外来語の多くをしばしば音訳しました。外来語に音訳を与えるということは、要するに「トランジット」としての滞在しか認めないということです。母語にフルメンバーとしては加えない、それが母語の意味体系に変更を加えることを認めないということです。』

 中国は外来語を音訳としては取り入れるが、そこから中国語を新しく作るということはしなかった。

それは王化の中華思想という性格が寄与しているのです。

しかし、日本語はそれができる。

どちらが良いというものでもないですが、王化と辺境ではこのように言語の取り扱い方まで規定されてくるのです。

そして、言語が変わると考え方、行動が変わるのは言うまでもありません。

 最後に、著者の言葉を引用します。

『私たちの言語を厚みのある、肌理の細かいものに仕上げてゆくことにはどなたも異論がないと思います。でも、そのためには、「真名」と「仮名」が絡み合い、渾然一体となったハイブリッド言語と言う、もうそこを歩むのは日本語だけしかいない「進化の袋小路」をこのまま歩み続けるしかない。孤独な営為ではありますけれど、それが「余人を以ては代え難い」仕事であるなら、日本人はそれをおのれの召命として粛然と引き受けるべきではないかと私は思います。』

 

日本辺境論 内田樹著 ③

 では三章、「機」の思想です。

「機」の思想とは何でしょうか。

著者は武道と禅家における「機」の概念を取り上げています。

武道では澤庵禅師が「不動智神妙録」で「石火之機」という言葉を使っています。

『「石火之機」と申す事の候(……)石をハタとう打つや否や、光が出で、打つと其のまゝ出る火なれば、間も隙間もなき事にて候。是も心の止るべき間のなき事を申し候。(……)たとへば右衛門とよびかくると、あつと答ふるを、不動智と申し候。右衛門と呼びかけられて、何の用にてか有る可きなどゝ思案して、跡に何の用か抔(など)いふ心は、住地煩悩にて候。』

石を打ったその瞬間に光が出て、打った瞬間に火が出る、それには間も隙間もない、時間がない、石と光と火が同時である、これが「石火之機」です。

右衛門と呼ばれたら、あつと答えるのが不動智と言います。

右衛門と呼ばれたら即答しなければならない。

右衛門と呼びかけられて、「さて彼は私に何の用があるのだろう」と答えてはならない。これを住地煩悩と言う。

著者は言います。

『石火之機とは「間髪を容れず」ということです。間髪というのは、情報の入力があって、変換装置で解釈し、適切な対応を出力するという継時的な過程のことです。しかし、武道では、入力―出力がリニアに継起することを「先をとられる」と解して嫌います。

 相手が攻撃してくる。その攻撃をどう予測するか、どう避けるか、どう反撃するか。そういう問いの形式で考えることそれ自体が武道的には「先をとられる」と解します。「相手がこう来たら」という初期条件の設定がすでに「後手に回っている」からです。』

 相手がこう攻撃してきたら、こう避けようというそれ自体が、すでに「後手に回っている」。

右衛門と呼ばれて、「私に何の用があるのだろう」と考えるのは住地煩悩である。

他者から攻撃や呼びかけがあり、それをどのようにかわそうか、何の用があるのかとタイムラグを置いてはならない。

右衛門と呼ばれたら、あつと即答しなければならない。

ここには主体や客体と言う概念の入る余地がありません。

客体からの呼びかけに主体が反応するというのは、すでにタイムラグがあるからです。

主体と客体は混ざり合っている。

著者は書いています。

『「石火之機」とはそういうことです。「間髪を容れず」に反応できるというのは、実は反応していないからです。自分の前にいる人と一つに融け合い、一つの共身体を形成している。その共身体に分属している個々の身体の動きについては、もはや入力と出力、刺激と反応という継起的な文節は成り立たない。』

 禅家では「啐啄之機」と言います。

雛が卵から孵るとき、母鳥は卵の殻を外側から、雛鳥は卵の殻を内側からつつきます。

その二つがぴったり一致したとき、卵から雛がかえります。

これも主体と時間が問題になっています。

卵から孵る前には雛鳥はいません。

同じように卵から子供が出てくるまでは母鳥もいません。

卵の殻が破れて初めて、雛鳥と母鳥は誕生した。

子が生まれると同時に母も生まれるのです。

 著者は言います。

『「石火之機」においても、「啐啄之機」においても、「外部からの呼びかけを受信する主体」と言うものは出来事の以前には想定されていません。「右衛門」と呼びかけが聞こえ始めた時に、右衛門の主体はまだ存在しておらず、「あつ」と答え終えた時に主体は既に存在している。「石火之機」を生成の場とする者だけが、「石火之機」の時間を生きることができる。』

 辺境人はこのような「機の思想」を内面化しています。

辺境人の「学び」というのは、二章でみたように、誰を師と仰げばいいのか、どのように学べばいいのかを知っています。

黄石公が落とした沓を拾って履かせるということから、普通は学ぶことはできません。

ですが、辺境人であればどうやって学べばいいのかを先駆的に知ることができる。

高名な学者や、名のある知識人は沢山いたと思うのですが、張良は黄石公を師とすれば兵法極意を学ぶことができると先駆的に知っていました。

「啐啄之機」では母鳥と雛鳥が同じところをつつかなければ卵が割れません。

「石火之機」では石と石が空中の同じポイントで出会わなければ火花は出ない。

辺境人には私たちがどこで出会うのか、どのように学べばいいのかをあらかじめ知ることができるのです。

著者は言います。

『「学ぶ力』というのは、あるいは「学ぶ意欲」というのは、「これを勉強すると、こういう「いいこと」がある」という報酬の約束によってかたちづくられるものではありません。その点で、私たちの国の教育行政官や教育論者のほとんどは深刻な勘違いを犯しています。子供たちに、「学ぶと得られるいいこと」を、学びに先立って一覧的に開示することで学びへのインセンティブが高まるだろうと考えていますが、人間と言うのはそんな単純なものではありません。

 「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」です。自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のことです。ですから、もし「いいこと」の一覧表を示されなければ学ぶ気が起こらない、報酬の確証が与えられなければ学ぶ気が起こらないという子供がいたら、その子供においてはこの「先駆的に知る力」が衰微している。(略)狭隘で資源に乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ力」を最大化する以外になかった。「学ぶ力」こそは日本の最大の国力でした。ほとんどそれだけが私たちの国を支えてきた。ですから、「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと私は思います。現代日本の国民的危機は「学ぶ」力の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は考えています。』

 

日本辺境論 内田樹著 ②

 では二章、辺境人の「学び」は効率がいい、です。

一章で見たように、私たち日本人は辺境的性格を有しています。

古来から中国と言う中心があり、王化の光が同心円状にひろがっているので、その辺境にいる日本人はその光が届かない蕃国であるという宇宙観を共有しています。

つまり、私たちは常にその他から規範を求めなければ、自分の立ち位置を定めることができません。

その他を参照して自分を規定する。

著者は「虎の威を借る狐」に例えています。

これはご存じだとは思いますが、ある日、虎が狐を捕まえました。

食べられそうになった狐は虎に言いました。

「私は天帝の使いなので食べてはいけません。もし、そのことが信じられないなら、私の後についてきなさい」

そこで虎は狐の後について歩いていきました。

二匹が歩いていると、そこらで出くわした獣たちがさっと逃げだすことに虎は気づきました。

「なるほど、獣たちは確かに狐を恐れているのだな、天帝の使いというのも真実なのかもしれない」と虎は考えました。

しかし、本当は獣たちは、虎を見て逃げていたのです。

もちろん、日本人は狐のほうです。

そしてこの虎は、中国やアメリカやヨーロッパを参照するといった政治的なことだけではなく、私たち個人的なふるまいにも表れているのです。

では引用します。

『たとえば、私たちのほとんどは、外国の人から、「日本の二十一世紀の東アジア戦略はどうあるべきだと思いますか?」と訊かれても即答することができない。「ロシアとの北方領土返還問題のおとしどころはどのあたりがいいと思いますか?」と訊かれても答えられない。尖閣列島問題にしても、竹島問題にしても、「自分の意見」を訊かれても答えられない。もちろん、どこかの新聞の社説に書かれていたことや、ごひいきの知識人の持論をそのまま引き写しにするくらいのことならできるでしょうけれど、自分の意見は言えない。(略)「そういう難しいこと」は誰か偉い人や頭のいい人が自分の代わりに考えてくれるはずだから、もし意見を徴されたら、それらの意見の中から気に入ったものを採用すればいい、と。そう思っている。

 そういう時にとっさに口にされる意見は、自分の固有の経験や生活実感の深みから汲みだした意見ではありません。だから、妙にすっきりしていて、断定的なものになる。』

 私たちは難しいことについては自分の意見を述べられず、知識人などの意見を採用してあたかも自説を述べているようにすることがあります。

何が正しいか自分で考えようとせず、誰が正しい意見を持っているかに注力をします。

集めた情報を自分で判断して、咀嚼して、形作るということを苦手としています。

そのような時、私たちの口調は断定的なものになる傾向があります。

断定的なものなので、議論になった時に他人と意見をすり合わせるということができません。

全面的に自分の主張を貫き通すか、全面的に降伏するしかありません。

これは当然そうなります。

他人と意見をすり合わせるためには、「この部分はこちらが引いて相手の言い分を受け入れるが、その代わりこの部分は自説を通してもらおう」と言うようにある程度妥協することが必要になるからです。

 著者は言います。

『「虎の威を借る狐」に向かって、「すみません、ちょっと今日だけ虎縞じゃなくて、茶色になってもらえませんか」というようなネゴシエーションをすることは不可能です。狐は「自分でないもの」を演じているわけですから、どこからどこまでが「虎」の「譲ることのできない虎的本質」でどこらあたりが「まあ、その辺は交渉次第」であるのか、その境界線を判断できない。(略)

 「ネゴシエーションできない人」というのは、自説に確信を持っているから「譲らない」のではありません。自説を形成するに至った経緯を言うことができないので「譲れない」のです。(略)自説が今あるような形になるまでの継時的変化を言うことができない』

 このような「虎の威を借る狐」的、国民性を持っている日本人ですが、このように悪い方向に病態が出てくることもあれば、良い方向に出てくるものもあります。

良い方向に出た事例が、「学び」なのです。

 日本人の「学び」というメカニズムについての最良の例を、著者は能楽の「鞍馬天狗」と「張良」から引いています。

張良」は兵法伝授が主題となっています。

 漢の高祖の臣下である張良は、ある日、馬に乗った黄石公に出会いました。

黄石公は馬上から落とした沓を拾って履かせよと張良に言います。

張良はその気高い雰囲気から只ものではないと感じ取って、言われた通り沓を取って履かせます。

すると、黄石公は後日またここに来れば兵法の奥義を伝授しようと約束します。

後日、張良と黄石公は会います。

黄石公は今度は両方の靴を馬上から落とし、取って履かせよと言います。

張良は言われた通り取って履かせた瞬間に兵法奥義を会得する、そのような物語です。

 黄石公は張良に二度、馬上から靴を落とし、それを取らせて履かせます。

張良はそのとき、「これは何かのメッセージだ」と考えた、と著者は言います。

一度だけなら偶然かもしれないが、二度続いたということはこれは何らかのメッセージなのではないか、と張良は考えます。

そして、張良と黄石公の間には兵法伝授の間柄しかないのだから、これは兵法に関するメッセージなのだと、張良は考える。

そして、二度目に靴を拾って履かせたとき、瞬間に兵法奥義を会得します。

瞬間にということは、何かコツコツ努力して手に入れるものではありません。

兵法奥義とは「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」と師に向かって問うことそれ自体なのです。

兵法極意とは学び方を学ぶというメタ的なことなのです。

著者は書いています。

張良の逸話の奥深いところは、黄石公が張良に兵法極意を伝える気なんかまるでなく、たまたま沓を落としていた場合でも(その蓋然性はかなり高いのです)、張良は極意を会得できたという点にあります。メッセージのコンテンツが「ゼロ」でも、「これはメッセージだ」と言う受信者側の読み込みさえあれば、学びは起動する。

 この逆説は私たち日本人にはよくわかります。気の利いた中学生でもわかる。でも、この程度の逆説なら「気の利いた中学生でもわかる」のは世界でもかなり例外的な文化圏においてである、ということはわきまえておいたほうがいいと思います。

私たち日本人は学ぶことについて世界で最も効率のいい装置を開発した国民です。』

 弟子は師の一挙手一投足から学ぶことができます。

師は弟子から見て意味のあることを教えてくれなくても、師が意味のないことをするはずがない、教えがあまりにも深遠すぎて、私には意味を読み取れないだけだ、という心構えがあれば、そこに何らかの学びが起動します。

師が教えること以上のことを、弟子は学び取るのです。

 このように、師弟関係という学びを起動させるとき、「虎の威を借る狐」的性格を持っている国民性は類を見ない装置を開発するのです。

 

日本辺境論 内田樹著 ①

 本書は、日本とはどういう国なのか、日本人とはどのような特性を持った民族なのか、ということを「辺境」という補助線を引いて徹底的に論じた本です。

「辺境」とはどういう意味なのでしょうか。

それは「中央」というものがまずあって、それから遠く離れたものと言う文字通りの意味です。

中心から遠ざかっている国、辺境の国。

中心にはなれない国、むしろ中心から遠ざかろうと努力する国。

それが日本なのです。

一見、「辺境」と聞くとネガティブな意味に聞こえるかもしれません。

取るに足らない、ローカルな国や民族と感じてしまうかもしれません。

もっとも、「辺境」であるデメリットももちろんあるのですが、逆に日本がその「辺境性」ゆえに大きなメリットを獲得していることも事実なのです。

そして、その「辺境性」は日本人に血肉化されているため変えようと思っても変えられないものであり、むしろ「辺境」の特性を生かすことで日本文化を世界に誇るものにしていくことができる、と著者は考えます。

 本書は1章「日本人は辺境人である」、2章「辺境人の学びは効率がいい」、3章「機の思想」、4章「辺境人は日本語とともに」の4部構成となっています。

では1章「日本人は辺境人である」です。

 まず、著者は「辺境人」という言葉の定義をしています。

引用します。

『ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、もっぱらその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。』

 私たち日本人は物事を判断したり、行動したりするとき、何が正しいのかを論理的に考えて判断するよりも、「絶対的価値体」つまり、権力を持っている者や、物事をよく知っている者を探り当て、それに近づくことに重きを置く傾向があります。

私たちの周りでも、そのような行動はよく見られます。

会議の場で自分は反対意見を持っていたとしても、場の空気が賛成であれば、自分の考えは押し殺してその空気に流されてしまったりします。

また、企業の隠蔽体質もそうです。

長年、耐震基準を大幅に下回る値で作られてきた建物が、阪神淡路大震災によって倒壊したときに露見しました。

企業の従業員の中には普通に考えてこのままではいずれ世間にばれ、企業の信用が落ちることはわかっていたはずです。

ですが、そのことを話題にできない空気があり、指摘できなかった。

自分自身で物事の正しい判断を下すより、「権力のある人」もしくは「物事の正しい判断を下す人」を探り当て、そちらに近づく。

特に有事の場合はそのようになりやすいのです。

著者はルース・ベネディクトの「菊と刀」を引用しています。

『長年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍の爆撃機に同乗して軍事目標に誘導した。それはあたかも、新しい頁をめくるかのようであった。新しい頁に書いてあることと、古い頁に書いてあることとは正反対であったが、彼らはここに書いてあることを、同じ忠実さで実践した。』

日本兵の兵士たちは、欧米の兵士たちとは違い、捕虜になると自ら進んで敵軍に協力しました。

それは命が惜しいからではなく、そのつど、その場において自分より強大なものに対して、屈託なく親密に、無防備に振舞う傾向が日本人にはあるからです。

自分の思想よりも、場の親密性を優先する態度、その時の支配的な権力との親和を優先する態度、そういったものが日本人の国民性にはあります。

 著者は「辺境」という概念も定義しています。

『「辺境」は中国との対概念です。「辺境」は華夷秩序コスモロジーの中において初めて意味を持つ概念です。

 世界の中心に「中華皇帝」が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方にひろがる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。(略)この華夷秩序の位階でいうと、日本列島は東夷の最遠地にあたります。

 中華思想は中国人が単独で抱いている宇宙観ではありません。華夷の「夷」にあたる人々もまた自ら進んでその宇宙観を共有し、自らを「辺境」に位置付けて理解する習慣を持たない限り、秩序は機能しません。』

 中国と言う中心があって、その端である辺境に日本がある。

そしてその、中心の中国から見た辺境の日本人という宇宙観を、日本人をも自ら進んで取り入れています。

今から約1800年前、邪馬台国の女王である卑弥呼は、中華皇帝が存在する魏に朝貢して「親魏倭王」の称号を得ています。

倭という国の王であることをわざわざ魏帝から認知されなければならない、ということから推しても、中華思想の宇宙観を日本列島の民族は共有していたことが伺えます。

『列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発した』のです。

 また聖徳太子が隋の煬帝に遣隋使として親書を送りました。

この時の親書はよく知られているように、「日出づる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」からはじまります。

対等外交を目指したものと考えられており、これを見た煬帝は激昂したと伝えられています。

しかし、聖徳太子はわざわざ隋を挑発して外交関係を危機にさらす意図があったとは思われません。

文明の摂取のために、遣隋使として多数の留学生を派遣していましたし、中国との政治的ルールも熟知していたと思われます。

では一体、なぜそのようなことを聖徳太子はしたのか。

著者は「危険な思弁を弄したい」と断ってますが、『先方が採用している外交プロトコルを知らないふりをしたという、かなり高度な外交術ではないかと思うのです。というのも、先方が採用しているルールを知らないふりをして「実だけを取る」というのは、日本人がその後も採用し続けてきて、今日に至る伝統的な外交戦略だからです。』

そのような政治的ルールは知っているが、それを知らないふりをして「実だけを取る」

日本列島は中華皇帝からは遠く離れているため「王化」が及ばない。

「王化」が及ばないので、どのようにするのが正式なのかがわからなくそのような言い訳が成り立ち、それ故に知らないふりをすることでこちらの都合で好きなことができる、というメリットがあります。

聖徳太子はそれを意識的にしたのかもしれませんが、現代になるとそれが深く内面化されて無意識にやってしまいます。

『九条と自衛隊の「矛盾」について、日本人が採用した「思考停止」はその狡知の一つでしょう。九条も自衛隊もどちらもアメリカが戦後日本に「押し付けた」ものです。九条は日本を軍事的に無害化するために、自衛隊は日本を軍事的に有効利用するために。どちらもアメリカの国益にかなうものでした。ですから、九条と自衛隊アメリカの国策上は全く無矛盾です。「軍事的に無害かつ有用な国であれ」という命令が、つまり、日本はアメリカの軍事的属国であれということがこの二つの制度の政治的意味です。

 この誰の目にも意味の明らかなメッセージを日本人は矛盾したメッセージに無理やり読み替えた。(略)アメリカの合理的かつ首尾一貫している対日政策を「矛盾している」と言い張るという技巧された無知によって、日本人は戦後六十五年にわたって、「アメリカの軍事的属国である」というトラウマ的事実を意識に前景化することを免れてきました。』

 九条と自衛隊の首尾一貫している対日政策を、矛盾していると日本人は読み替えた。

首尾一貫していると読んでしまうと、それは日本はアメリカの軍事的属国であるということを認めてしまうからです。

だから、日本はそれを矛盾していると読み替えて意識に上らないようにしました。

そのように読み替える理由は何なのでしょうか。

それは聖徳太子と同じように、知らないふりをして(今回は無意識的に)自分をだまし、自己都合でやりたいことができるからです。

このような辺境であるメリットは第二章以降で詳しく見ていきますが、辺境と言う劣位に自分を落とし込んで、それを逆手にとってメリットを取るという戦略は私たち日本人の内に深く内面化されています。

そして、著者はその辺境的性格をどうすることもできないし、欠点ばかりなのではないから、とことん辺境で行こうではないか、と提案しています。

 

カント 純粋理性批判 ③

 次に「認識」を取り上げましょう。

私たちは「物自体」は認識できなく、「現象」のみ認識できるため、カントが「認識」と言うときには、その「認識」するための「認識」、「認識」の仕方のことを言っています。

つまり「超越論的認識」とは一体どういうものか、ということです。

 ここで伝統的な真理観を述べておきます。

古来、デカルトでもスピノザでもライプニッツでも、感性や想像力といったものは誤謬がつきもので、真理を追究するためには邪魔なものと扱われていました。

真理を見定めるためには感性を退けて、知性による働きが必要だと考えられていました。

しかし、カントはこの考えから逃れます。

カントによると「超越論的認識」には感性と悟性の両方が必要だと考えました。

悟性とはとりあえずここでは知性のことだと思っておいてください。

感性を退けるのではなく、感性と悟性の両方が必要なのです。

純粋理性批判」から引用します。

『私たちの認識は心意識の二つの源泉から生じる。第一の源泉は、表象を受け取る能力であり、また第二の源泉は、これらの表象によって対象を認識する能力である。それだから、直観と概念とが、私たちの一切の認識の要素であり、直観を持たない概念も、あるいは、概念を持たない直観も、それだけでは認識になりえない。』

第一の源泉である、表象を受け取る能力は感性のこと、第二の源泉である、表象によって対象を認識する能力は悟性のことです。

要するに、認識は感性と悟性が合一することによってはじめて成立する、とカントは考えたのです。

では感性と悟性とは一体何なのでしょうか。

カントによると感性は『主観の個別的な性質に依存している。』しかも『諸主観が多様であるがゆえに異なりえる。』ようなものです。

つまり、感性とは主観的、個別的なものであって、その主観的、個別的なものはそれぞれの人間の間にあって人それぞれであり異なっている、ということです。

ハイブリッド画像というものを見たことがある人もいると思います。

これは二つの画像を組み合わせたもので、有名なものはアインシュタインマリリン・モンローのものでしょう。

同じ画像を見ても、遠視の人にはアインシュタインが見え、禁止の人にはマリリン・モンローが見えます。

また、男性と女性によって、同じ色を見ていても色の濃淡が違って見えるということも聞いたことがあります。

このように人によって感性は違ったものになりますので、、古来の真理観は否定したのです。

しかし、カントは真理、というより客観的な認識を得るためには、逆説的にこの主観的な感性がなければならないと考えたのです。

それはなぜかというと、私たちには「物自体」は見えなく「現象」しか認識できないからです。

「現象」しか認識できないため、まずはじめに、どうしても対象を感性で認識するということが必要となるのです。

 では悟性とは何でしょうか。

悟性とは理解するという言葉の名詞形であるドイツ語から翻訳した言葉です。

英語でいえばunderstandingです。

このunderstandingは普通、知性と訳されますので、本来は悟性と知性は共通の語を根に持ちます。

では同じ語である悟性と知性の違いは何かというと、簡単に言ってしまえば悟性は知性の没落した語なのです。

対象そのもの、物自体を把握できるときには知性という訳語が与えられ、物自体を把握することを断念したときに悟性となります。

ですから、ほとんど同じ意味なので、「悟性と言えば知性のことだな」と思っておけばよいでしょう。

 カントは認識するためには感性と悟性の合一が必要だと言いました。

でしたら、悟性は感性に対してどういう振る舞いをするのでしょうか。

言い換えると、感性で読み取った情報を悟性はどのようにしたら客観的認識が得られるのでしょうか。

黒崎政男のカント『純粋理性批判』入門から引用します。

『カントは第八稿において言う。「現象が内的必然性」を持つこと、「すなわちすべての主観的なものから解放され」て「客観的なもの」になるためには、「普遍的規則によって規定可能なものとみなされる」ことが必要であると。つまり「私の諸表象が対象となるためには、表象が不変的規則に従って規定されることが必要である」。すると「現象はそれが与えられたときの個別性からは独立にそれ自体として」、つまり「私の単なる主観的―個別的表象からは独立して」考えられる。』

 要するに、現象が客観的になるためには、個別性である感性で与えられたものに、普遍的規則に従って規定する、「悟性」を参入させて初めて成立する、ということです。

「感性」で対象を捉えたものを「悟性」の力で、つまりカテゴリーとして規定して、私たちは客観的な認識を得ることができる、というのです。

悟性には感性を「超越論的認識」に導くためのカテゴリーを持っており、それを使用して主観的、個別的なものが客観的、普遍的なものになる。

このカテゴリーには十二個の様式があるのですが、これを説明すると長くなるのでここでやめます。

最後に『純粋理性批判』の序文から引用しておきます。

『私たちが思考法の変革された方法として想定するところのもの、つまり、私たちが物についてア・プリオリに認識するのは、私たち自身がそのうちへと置きいれるものだけである。』

 

カント 純粋理性批判 ②

さて、もう一度カントの「コペルニクス的転回」引用します。

『これまでは人は、すべて私たちの認識は対象に従わなければならないと想定した。しかし、こうして私たちの認識を拡張しようとする試みは、この前提の下ではすべて潰え去ったのである。そこで、対象が私たちの認識に従わなければならないと私たちが想定することで、もっとうまくゆかないかどうかを、一度試みてみたらどうだろう。』

これを真ん中で二つに区切ってみます。

その前半部分、つまり『これまでは人は、すべて私たちの認識は対象に従わなければならないと想定した。しかし、こうして私たちの認識を拡張しようとする試みは、この前提の下ではすべて潰え去ったのである。』、これを考えてみたいと思います。

ここでカントは、認識は対象に従わなければならない、つまり家を認識するとき、家という対象があるからこそ認識できるのだと想定した場合は、すべて駄目だったと言っています。

私たちは普通、家という対象があるから家を認識できる、とみなします。

山があるから山が見え、川があるから川が見え、花があるから花が見える。

このような発想を、哲学では素朴実在論と言われたりします。

先にものがあるから私たちは認識することができる。

ですが、カントによるとこの発想ではダメだったと言っています。

一方、18世紀のイギリスの哲学者バークリーはこう言っています。

『存在するとは、知覚されることである』

要するに、家が存在するというのは、家が知覚されるからであって、もし家が知覚されないのであれば、それは家は存在しないと言える、といった考え方です。

家や山や川といったものは自然に存在しているわけではない。

ただそれらが知覚できるから存在している、とバークリーは考えます。

これを観念論と言います。

この観念論も、言われてみればそうかな、と思うのではないでしょうか。

ここに何かものがある、と言われても、それが目に見えなく、音も聞こえなく、手で触ることもできなければ、それは存在しているとは判断できません。

例えば神というものは知覚できないものであるから、存在するとは思えない、と私たちは考えることもできます。

当時、カントを批評した論文は、カントのことをこの観念論として槍玉に挙げたのですが、カントは従来の観念論とは全く違うと弁論します。

ではどう違うのでしょうか。

ここでキーになってくるのは、「認識」と「現象」です。

まずは「現象」を取り上げましょう。

カントの『純粋理性批判』から引用します。

『現象とは、知覚の対象である。現象は、何らかの客観一般の内容を含んでいる。

私たちは、〈物自体としての対象についての認識〉を持つことはできず、〈感性的直観の対象となるもの〉つまり、〈現象〉についてのみ、私たちは認識することができる』

私たちは、〈物自体としての対象についての認識〉を持つことはできない。

ここでの〈物自体〉というのはプラトンイデアや実体というものとほとんど同じと考えてよいと思います。

つまり、私たちが見えている物とは関係なく、客観的に、主体的にそれ自身で物が成立するためのもの、というような意味です。

本質と言うとかなり語弊がありますが、物が存在するための物と言った感じです。

カントはここで私たちが知覚するときにはその〈物自体〉は見えないと言っています。

そして、見えるのは〈感性的直観の対象となるもの〉つまり<現象>だけだと。

現象とは<感性的直観>つまり、思考したり、頭を働かせたりせずに、ただ見えたり、聞こえたり、手で触ったり、味覚で感じたり、そういった五感で感じられるものなのです。

そのような現象とは私たちが見るときの対象となるもので、例えば家を見るときの家そのものが対象となり、これが客観一般を含んでいるとカントは言っています。

カント 純粋理性批判 ①

今回はカントの純粋理性批判を紹介したいと思います。

とはいっても、私は「純粋理性批判」を通読したことがありません。

手に取ったことがある人はわかるでしょうが、恐ろしく難解な書物であり、聞いたことのない用語が沢山出てきて、読み通すのはかなりの困難を極めます。

ですので、今回は「純粋理性批判」の解説書として定評のある、【黒崎政男著、カント『純粋理性批判』入門】の紹介ということになります。

 さて、今回は哲学書なのですが、哲学書を読むというのはどのような意味を持っているのでしょうか。

仕事や人間関係や社会といった現実にあまり役に立たないということで、哲学書を敬遠している方も多いと思います。

確かに何か哲学書を読んだところで、「営業成績が上がる」とか「夫婦仲が良くなりました」とか、そういったことは期待できません。

そもそも、本を読んだり学ぶということは、それを学ぶことによってこういう利益があるから学ぶのだ、と指し示せるものではないと私は思います。

そのような学ぶ前の価値観やものさしで測れるものならば、あまり意味がないのではないかと私は思います。

学ぶというのは、それを学ぶことによって、その前の価値観やものさしを変化させるということだからです。

ですので、学ぶ前にそれがわかっていたら、たいしたことではなのではないか。

とはいっても、とっかかりと言うものが必要でしょう。

私が哲学書を読んで有益だなと思ったことの一つは、物事の根本を考える思考法を身に付けることができる、ということです。

物事をラディカルに考える癖を身に付けることができる。

政治や海外情勢なども、テレビやインターネットで配信されてる表面的な部分から、本質的な「そもそもこれはどういうことか」と言った考えをすることができるのです。

よく、どのようなタームでも持論を展開できる人がいます。

対米貿易や国内政治の問題、年金や経済までさまざまに普通とは違った、その人独自の論説ができる人がいます。

そのような人は、他の一般の人とは違った情報を得ているわけではありません。

テレビや新聞やインターネットなど情報はほとんど同じなのです。

違いはその情報の取り扱い方にあります。

そのなんでもない情報から、物事を根本的に考え展開する能力があります。

哲学書を読むことはそのような「根本」を学ぶのに非常に有効だと、私は思います。

 さて、前置きはこのぐらいにして、カントの「純粋理性批判」の話に移ります。

カントはこの「純粋理性批判」の中で様々なテーマを取り扱い考察しています。

時間や空間、神の存在証明など多岐にわたるのですが、岩波文庫で上・中・下合わせて約1150ページもある書物の内容を解説書一冊で紹介できるわけがないですので、この黒崎政男氏の「カント『純粋理性批判』入門」では、「超越論的真理」とは何かというテーマを主に取り上げています。

 いきなり難しい用語が出てきましたが、心配いりません。

このような用語はこれから山のように出てきます。

ですが、しっかりと順を追って読み込んでいけば、何とか大枠は捉えることができるかと思います。

 では、この「超越論的真理」とは何かと言いますと、「客観的な認識とは何か」という意味になります。

主観的な認識ではなく客観的認識です。

例えば家を見ているとします。

この家を見ているときの認識は客観的なのか、主観的なのか、人間が家など物事を見るときは客観的に見えているのか、私たちの身体や脳の構造などによって「家の本質」とでもいうべきものが見えていないのではないか、そういったことを指します。

引用します。

『常識では、正しい認識とは、事物の姿を主観を交えずありのままに受け取ること、と思われている。しかし、カントが「純粋理性批判」で明らかにしたのは〈あるがままの事物〉を捉えられると考えるのは愚かな妄想に過ぎず、認識は徹頭徹尾、主観的な条件で成立しており、そのことによってのみ、認識は客観性を有する、という主張なのである。つまり、素朴にありのままを認識しようとすれば、それは主観的なものとなり、逆に、世界は主観による構成物だと考えることで、はじめて客観的認識が成立する、というパラドキシカルな主張こそ、「純粋理性批判」の根源的テーマなのである。』

 カントによると、私たちの認識とはどこまで行っても主観的なものであるが、そのことによってのみ、認識は客観性になる。

認識が主観的だからこそ客観的になる、とカントは言っています。

これだけではちょっと意味が分かりませんよね。

結論はこのようになりますが、なぜそうなるのかをカントは(そしてこの解説書は)解説しているのです。

 さて、ここで有名なカントの「コペルニクス的転回」の主張を、原著の「純粋理性批判」から引用します。

『これまでは人は、すべて私たちの認識は対象に従わなければならないと想定した。しかし、こうして私たちの認識を拡張しようとする試みは、この前提の下ではすべて潰え去ったのである。そこで、対象が私たちの認識に従わなければならないと私たちが想定することで、もっとうまくゆかないかどうかを、一度試みてみたらどうだろう。』

 なかなか理解しがたい主張です。

対象が私たちの認識に従わなければならない。

私たちは家という対象があるから、家を認識できると思っています。

しかし、ここでカントはそれではダメだったと言っています。

それではダメで、家という認識があるから、そこに家という対象が出現するのだと言ってるのでしょうか。

それなら対象がないのに、どうやって家という認識が先にあるのでしょうか。

はてながいっぱい飛びます。

しかし、これこそ「純粋理性批判」を貫く根本的な発想なのです。