寝ながら学べる構造主義 内田樹 ③
ミシェル・フーコーも重要な著作を残しており、現代の知識人に与えた影響は膨大で、社会科学・人文科学の研究者では必読書となっています。
その著作は「監獄の誕生」、「狂気の歴史」、「知の考古学」といったものがあります。
ところで、私たちは普段こう考えていると思います。
現在の社会制度や常識や通念というのは昔からもともとあって、今みたいな形で昔もあったのだろう、そのように思っています。
監獄や狂人や知は昔も今も、それに対する観念や見方、扱い方にそれほど大きな差はないだろうと考えています。
要するに、現在の価値観や考え方は当然のことであって、それが違うなんて考えられない、もしくは過去と現在の価値観が違ったとしてもそれは誤りだったのであり、現在は訂正され修正されてきたのだと思っています。
歴史は過去から現在へ一直線に進歩してきたと考えがちです。
しかし、フーコーはそのような常識を打ち壊していきます。
フーコーによると、人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的事象の結果として誕生したものであって、それ以前には存在しなかったものなのです。
つまり、現代のような「監獄」や「狂気」という概念は昔からずっと同じようにあったわけではなく、ある時点で何らかの複合的な結果として発生したのです。
そして、それ以前には今あるような「監獄」や「狂気」というものはなかったのです。
さて、フーコーの思想の概要がわかったところで、その著書「狂気の歴史」を取り上げます。
これは何が「健常」で、何が「異常」か、私たちが常識的に考えているその境界の概念を打ち壊したものです。
『「狂気の歴史」において、フーコーは、正気と狂気が「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であるとする考え方は、実は近代になって初めて採用されたものだ、という驚くべき事実を指摘します。』
近代以前では、正気と狂気が厳密には分離されていなかったのです。
もともと、精神病者の囲い込みはヨーロッパでは十七世紀から十八世紀に近代的な都市と国家の成立とともに始まりました。
近代から現在に至っては狂人は病院に隔離し、人里離れたところに追いやられ、私たちが暮らす分には意識することのないようにされていますが、それ以前では地域社会において共同体の成員として認知されており、固有の社会的役割を担っていました。
私たちには馴染みのない考えですが、狂人にも社会的役割がありました。
『というのも、狂人は中世ヨーロッパにおいては悪魔という超自然的な力に「取り憑かれた人」とみなされていたからです。』
狂人は「罪に堕ちる」ことの具体的な様態であり、共同体内部ではいわば信仰を持つことの重大性の「生きた教訓」としての教化的機能を果たしていたのです。
反面教師のようなものです。
ですから狂人たちが身近にいること、その生身の存在をあからさまにしていることは、人間社会にとって自然であり、有意義なこととされていたのです。
しかし、近代になると事情が変わります。
十七世紀のヨーロッパをフーコーは「大監禁時代」と呼んでいます。
それはこの時代になって、人間標準になじまない、精神病者、浮浪者、貧民などを強制的に排除、隔離するようになるからです。
フーコーはこう書いています。
「十七世紀になって、狂気はいわば非神聖化される。(略)狂気に対する新しい感受性が生まれたのである。宗教的ではなく社会的な感受性が。狂人が中世の人々の風景の中にしっくりなじんでいたのは、狂人が別世界から到来するものだったからである。いま、狂人は都市における個人の位置づけにかかわる『統治』の問題として前景化する。かつて狂人は別世界から到来するものとして歓待された。いま、狂人はこの世界に属する貧民、窮民、浮浪者の中に算入されるがゆえに排除される」
ここで、私たちの常識とは逆のことをフーコーは書いています。
狂人は「別世界」からの客人であるときに共同体に歓待され、「この世界の市民」に数え入れられると同時に、共同体から排除されたのです。
よそ者の時には受け入れられ、同じになると排除される。
つまり、狂人の排除はそれが「なんだかよくわからないもの」であるからなされたのではなく、「なんであるかがわかった」から排除されたのです。
狂人は理解され、命名され、分類され、そして排除されたのです。
このように人類史的にみると狂人が生まれたのは比較的最近のことであり、私たちが当然のように狂人を隔離し排除し治療しなければならないと考えていること自体が普遍的なことではなく、もしかすると偏ったものの見方をしているのかもしれないことを、フーコーは教えてくれます。