寝ながら学べる構造主義 内田樹 ⑤
三人目はレヴィ=ストロースです。
文化人類学者であるレヴィ=ストロースは「親族の基本構造」、「悲しき熱帯」、「野生の思考」といった書物を書いています。
レヴィ=ストロースは未開社会におけるフィールドワークを通して、重要な知見を示しました。
その重要な知見の一つが、様々な社会集団における家族の間に「親密さ/疎遠さ」の二項対立が存在している、ということです。
引用します。
「父―子/伯叔父―甥の場合
- 父と息子は親密だが、甥と母方のおじさんは疎遠である。
- 甥と母方のおじさんは親密であるが、父と息子は疎遠である。
夫―婦/兄弟―姉妹の場合
- 夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
- 妻はその兄弟と親密だが、夫婦は疎遠である」
この二項対立のうち、様々な社会集団はどちらかを必ず選ぶことがわかりました。
例えば、妻とその兄弟は贈り物をしあう中であるが、夫婦は人前で話すことを禁ぜられている、甥と母方のおじは親密だが、父と息子は対立関係にある、と言うようにです。
これは兄弟、姉妹、父親、息子の4つの項から成っており、これをレヴィ=ストロースは「親族の基本構造」と名付けました。
さて、このように世界中どこでも社会集団はこの二項対立を選ぶ、というレヴィ=ストロースの仮説によって、私たちに教えてくれるものが二つある、と著者は言います。
「一つは、人間は二項対立の組み合わせだけで複雑な情報を表現するということ。もう一つは、私たちが自然で内発的だと信じている感情(親子、夫婦、兄弟姉妹の間の親しみの感情)が実は、社会システム上の役割演技にほかならず、社会システムが違うところでは、親族間に育つべき標準的な感情が違う、ということです。」
いろいろな社会集団があり、それぞれ独自の風習やら慣習やら成り立ちがありますが、それらの源はこの二項対立のうちのどれかに行き当たり、この二項対立だけでそれぞれ異なった沢山の社会集団ができるということが一つです。
もう一つ目は、私たちが親子は親密であるのが正しい、夫婦は仲良くなければならないと思っていることは、人類一般に当てはまる正しさなのではなく、私たちの社会制度などからそう思っているだけであって、その常識は他の社会集団に通用するわけではないし、人間一般の常識ではないということです。
夫婦関係が悪く、親子関係が不仲だからといって、それを野蛮であり、正さなければいけない、というのは偏った考え方なのです。
それは現在そのような考え方が多いだけなのであって、人類史的に見れば特に必然性はありません。
私たちが正しい、未開社会は正しくないという問題ではなく、別々の二項対立を選んだだけなのであって、主従の関係や、正否の関係とは無縁なのです。
別々の二項対立を選んだ、というのも間違いかもしれません。
私たちは人間が社会構造を作ってきたと考えています。
親と子の自然な関係というのが先にあり、それが親族制度を作り上げたと私たちは考えますが、レヴィ=ストロースはそのような人間中心的な発想は退けます。
人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出すのです。
社会構造が先に会って、それが私たちの感情や理論などを決定しているのです。
ではその社会構造の起源は一体どこにあるのでしょう。
レヴィ=ストロースはこう答えます。
「様々な信憑や習慣の起源について、私たちは何も知らないし、この先も知ることができないだろう。なぜなら、その根は遠い過去の中に消えているからだ。(略)習慣は内発的な感情が生まれるより先に、外在的規範として与えられている。そして、この不可知の規範が個人の感情と、その感情がどういう局面で表出されえるかあるいは表出されるべきかを決定しているのである。」
社会制度の起源は遠い過去に消えています。
私たちはそれを知る由もありません。
ですが、なぜ親族システムがあるのか、その理由はわかっています。
レヴィ=ストロースはこう述べています。
「親族の基本単位は始原的でありかつこれ以上分割しえない。それはこの基本単位こそ、世界中全ての場所に観察される、近親相姦の禁止の直接的な結果だからである。」
近親相姦を禁止するために親族構造があるのです。
では、なぜ近親相姦を禁止するのでしょうか。
それは「女のコミュニケーションを推進するためである」、とレヴィ=ストロースは言います。
「近親相姦の禁止とは、言い換えれば、人間社会において、男は、別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受けるという形式でしか、女を手に入れることができない、ということである」
当たり前のことではあります。
男は、別の男から、その娘または姉妹を譲り受ける形でしか、女を手に入れることができない。
近親相姦では女のコミュニケーションを推進できなく、親族が存続できなくなるからです。
親族を存続するために近親相姦を禁止するのです。
なので近親相姦を禁止するのです。
「血統を存続させたいという欲望のことを言っているのではない。そうではなく、ほとんどの親族システムにおいて、ある世代において女を譲渡した男と女を受け取った男の間に生じた最初の不均衡は、続く世代において果たされる『反対給付』によってしか均衡を回復されないという事実を言っているのである」
人類一般に血統を存続させたい欲望があると言っているわけではない。
ただ、女のコミュニケーションを通じてしか親族が存続できなく、近親相姦を禁止するようになった起源がどこにあるのかはわからないが、現在まで残っている社会集団はそのようになっているのです。
そうしないと現在まで残ってなく、はるか昔に滅びたことでしょうから。
親族を存続させたいという欲望がなくても、太古の昔から続いて残ってきた社会集団にはそういう制度があるということです。
ちなみに、なぜ女を交換しなくてはいけないか、なぜ男だといけないのか、それは女性蔑視ではないか、というフェミニズム的批判があるようですが、それは女には子供を孕み、産むという価値があり、男には全く価値がないから交換をしないのです。