生き延びる力②

 大学生や社会人と良く接しますが、彼らはしばしば上司や先生の合格ラインを見極めて、できるだけそのラインぎりぎりを狙う傾向にあるという話でした。

それは必要最低限の努力で評価を得る、ということに力を注いでいるのです。

彼らは試験前に「俺、全然勉強してないわ」という高校生のように、努力や勉強をほとんどしてないのに合格点が取れるという、費用対効果が高いことが賢いことだと本気で思っています。

この費用対効果というのが凄くしっくりくるのですが、彼らはお客さん思考、経済の論理で動いているようです。

お客さん思考では、できるだけ安い金額で、できるだけ良い商品、良いサービスを獲得することに必死になるのです。

それと同じで、彼らは少ない努力で、できるだけ大きな利益を得ようとし、その幅が大きければ大きいほど知性が高いと思っているのです。

ですので、彼らは必要以上の勉強しかしないし、言われた仕事しかできません。

ただ、これは彼ら自身が悪いわけではないと思います。

何事にも経済の論理を当てはめてしまう社会全体の仕組みがいけないのです。

政治でも、教育でも、介護でも、医療でも、すべて経済の論理で考えることを見ている若者たちは、他の尺度で考えることができず、何にでも経済で当てはめてしまうのは仕方がないでしょう。

経済偏重主義であることをやめて、物事にはいろんな尺度があることを大人が示さなければなりません。

最低限の努力、必要な分だけの仕事しかしない若者たちは、もちろん出世はしないし、賃金も低いままでしょう。

経済の論理で考えることで、経済的に弱者の立場に立たされます。

自分で自分の首を絞めていることになかなか気づかないのです。

 さて、また彼らは周りと同じように生きることを望んでいるように思われます。

同じような格好をし、同じような考え方をし、同じような行動をします。

人と違うことをするのは、彼らにとっては間違ったことなのだと思われます。

学校教育が始まる年代から、この傾向は見られます。

小学校に入ると、人と違うことをすると白い目で見られ、場合によってはいじめられるので、できるだけ周りと同じように合わせようとする。

いじめる側の心理としては、自分たちと違う考え方、行動をするものが不気味で、それこそ何を考えているかわからないので排除しようとするのでしょう。

このいじめる側、いじめられる側は、かっちりと決まっているわけではなくて、流動的に入れ替わっている。

今までいじめていたものがいじめられたり、その逆もある。

うっかりとその場にある規範のようなものから逸脱すると、すぐにいじめられる側に転落してしまう。

そういう怖さがある。