自由に生きる方法
自由に生きたいと誰もが望んでいます。
誰かに命令され、こき使われるのは、反射的に嫌な気持ちにさせられます。
私たちはできるだけそれから逃げ出し、好きなように行きたいと思っています。
しかし、なかなかそう上手くはいきません。
私たちは仕事では上司に命令され、取引先には無理を言われ、お客様には偉そうにされています。
お金を稼がなくてはいけないから仕方がない、と思いつつも、時々、いやほとんどいつも不満でいっぱいになっています。
もうサラリーマンのような使われるだけの仕事は嫌だと思い、独立しようと考えた人もいるでしょう。
ですが、独立した先のことを考えると不安になって、決心がなかなかつかないものです。
また、自分は独立する能力がない、という思いを意識しないために、つまり能力がないことを自覚しないよう努力するために、「私はやればできるのだが、今たまたまやってないだけだ」と考えることがあります。
「自分はやればできる」というのは、しばしば何かを見ないための方便です。
だって、「やればできる」のであれば、それは早くやればいいだけなのですから。
そして、そのような人は、自分の能力のなさを隠すために、誰かほかの人を非難してしまいます。
「自分が出世できないのは上司や経営陣が無能だからだ」と非難するようにです。
自分をよく見せるために、人は2つのどちらかの方法を取ります。
一つは、他人を非難し、他人を自分のレベルまで押し下げる。
もう一つは、自分を磨き、自分のレベルを上に押し上げる。
自分が人を非難している場合は、一つ目になっていないか常に確認しておいたほうがよいでしょう。
私たちはたいていの場合、他人を自分のレベルまで押し下げるために避難します。
それはもちろん、そのほうが楽だからです。
さて、不安を押しのけて、独立をしようとするには何が必要でしょうか?
私は勇気が必要だと思います。
では勇気を出すには?
行動が必要です。
少しづつでもいいので、その目標に向けて何かしらの行動をしなければなりません。
それは独立する何らかの資格や勉強をするといった意味でなく、独立するプロセスに沿った行動が必要です。
ラーメン屋を開業する例を考えてみましょう。
麺の素材や、スープの味付けといったことを考えるのでなく、もちろんそれも大事なことですが、独立するにはいくら資金がいるのかとか、銀行からどれだけ融資を受けられるのかとか、どのような立地で開業するのか、などを実際に銀行や不動産屋に行って相談するような、根本的な行動が必要です。
自由に生きるとはそういうものです。
私たちは自由に生きるためには、不自由さと闘わなければなりません。
他人から与えられた命令や規則などでなく、自分で自分に与える命令や規則という不自由さを作らなければなりません。
自由か不自由かは、自分で律するか、他人から律せられるかの違いなのです。
自分で不自由を作るか、他人が不自由を作るかの違いです。
しかし、自分で作った場合、その不自由さの中に自由があります。
そうです、本質的には自由とは不自由さの中にあります。
ただ、それには多大なる勇気が必要です