記憶はなくならない

 脳には可塑性というものがある。

可塑性とは、よく言われるたとえでは、粘土を指先で押したときに反発して戻らないで、押した痕跡を残したままの状態になることを言う。

逆に反発して元に戻る、ボールのように弾力のあるものを可逆性と言う。

脳に可塑性があるということは、脳の中は目まぐるしく変化しているということである。

変化をする、というのが可塑性だからだ。

記憶に関していうと、この可塑性は多くの人が経験していると思う。

例えば学生時代に習った微分積分を、大人になって忘れてしまって思い出せなくても、ちょっとした微分積分の入り口を聞いただけで、ぱっと全体を思い出すことがある。

これは記憶がなくなっているわけではなくて、取り出しにくくなっているだけなのだ。

押し入れの中に服やら、布団やら、毛布やら、要らなくなった昔のおもちゃまで放り込んでおいて、後で必要なものを取り出そうとしても見つからないようなものだ。

または、葬式に使う数珠が必要な時に見つからないようなものだ。

年を取って、葬式が増えると、数珠は何度も使うのですぐに取り出せるようになる。

記憶も使えば使うほど、すぐに取り出しやすくなるのだ。

忘れてしまったものは、取り出してないだけで、記憶は脳のどこかにある。

これが可塑性があるということだ。

 

 これは私たち凡人には救いのようなものである。

人間には遺伝子がある。

遺伝子によって、その人の生まれつきの能力が決まる。

人より言葉を覚えるのが早かったり、運動神経が良かったり、絶対音感があったり、個人差というものはある。

だが、脳の中が変化するということは、その個人差も努力次第では逆転できるということだ。

インプットする経験が蓄積されて、クリエイティブな思考を作る。

そう考えると、勇気が出てやる気が出てくる。

 

 だが、押し入れから必要なものが取り出せなかったように、どれだけインプットしてもアウトプットできなければ意味がない。

いくら脳の中に記憶が残っているとはいえ、取り出せなかったら忘れることと同じではないか。

必要な時に、必要なものを取り出せなければ、何もないのと同じである。

これを解決するには、忘れる前にアウトプットする習慣をつけるのが一番だ。

SNSでもブログでもなんでも、自分で物を作ってみる。

また、インプットするときにアウトプットを意識することも重要だ。

「このフレーズは使えるな」とか「自分はこうは思わない」とか、読書するときはメモをしたり、本に書き込みをしたりするほうが良い。

インプットとアウトプットは物事の表裏で、どちらか一方だけというのはない。

二つで一つなのだ。

 インプットとアウトプットを繰り返しやっていると、直観が冴えわたることがある。

何か問題が起こった時に、論理的にはわからないが、これが正しいと思うことがある。

ほとんどの場合、この直観は後に正しいことが証明される。

アインシュタインは言っている。

「直観とはそれ以前の知的経験の結果に過ぎない」

つまり多くのインプットの末に、自分では論理的に確かめられないが、これは間違いなく正しいという直観が生まれる。

そして直観はクリエイティブに生きるには不可欠なものである。

また、この直観に関係している脳の部位があり、基底核というが、ここは年齢を重ねても成長し続けるという特色がある。

直観を養うには年齢は関係ない。

努力のたまものなのである。

私たちには大きな可能性が開けている。