人間関係が良くない人の思考

 例えば、会社で上司と部下がいる。

上司は部下に仕事の指示をしたり、命令したりする。

それは会社内でそういう権限を与えられているからである。

上司のほうが人間的に偉いとか、部下が駄目だとか、そういった話では全くない。

単純にそういうルールに従って仕事をしている、というだけである。

野球ならピッチャーがいて、キャッチャーがいて、ショートがいて、そういった役割を与えられているだけである。

試合の結果を左右するのに、ピッチャーの果たす役割の割合が多いからと言って、ピッチャーが偉いというわけではない。

ただ、そこを勘違いしている人は多い。

勘違いしてしまうと、「俺のおかげで勝ったんだ」といった傲慢であったり、「自分は何の役にも立ってない」といった卑小であったりを感じてしまう。

単にそういうルールの中で、自分は1つの記号として動いてるに過ぎない。

会社で働いていて、もうここでは働けないな、と思うのは、こういったルールを逸脱した存在がいる場合だ。

それはしっかりと監視されなければならない。

 また、夫婦関係でも同じである。

この場合はルールを2人で作っていくのだが、それを破ることで仲は悪くなっていく。

だいたい、人間関係とはルールと役割を作って、俳優となって演じることなのである。

家族思いの夫、子供思いの妻を演じているだけだ。

ただ、難しいのは、そのルールはスポーツのルールや将棋のルールのように、決まりきったものではないということだ。

常にルールは動き、ずらされていく。

そのずらしに上手く対応しなければ、人間関係は破綻していく。

人には、何か指をさせるような特定のものがあるわけではなく、もともと中空のものではないのかと思う。

環境や社会的な役割があって、それが自分をその方向に向かわせているだけなのではないか。

それに上手くステップを踏んでいくことが求められる。

そういった風に秩序は保たれている。

監督の構想を無視して演じることは、ルールを破ることである。

ルールに縛られたくなく、自由に生きたいなら、1人で生きるしかない。

それは不自由なことだろう。