エビデンスがない、というエビデンスはどこ?
よく、それはエビデンスがないとか、エビデンスを示して話してくれ、とか言う論調が見受けられる。
科学的エビデンスを示せ、ともよく言われる。
そのとき話し手が意図していることは、エビデンスがどうこうと言うよりも、ただ単純におまえの話は聞きたくない、おまえがやったことに対して不利益を被ったから何とかしろ、という感情が先立っているように思われる。
そもそもエビデンスとは何だろうか?
先ほど、新型コロナウイルスの一日当たりの新規感染数が3000人を超えて、さらに感染数の増加を防ぐため、総理大臣はGo To トラベルの中止を決定したとニュースにあった。
これに対して、そもそもの新型コロナウイルスへの対応にエビデンスがなかった、場当たり的な対応だった、などといろいろな人が非難している。
なるほど、こういう時にエビデンスを使うのか、と思った(私はテレビは全く見ないし、ニュースもほとんど読まない)
おそらく、このように非難している人たちが使っているエビデンスとは、100人いたら100人同じことが起きるという証拠がない、という意味で使っているのだろう。
つまり、非難している人たちは、100人いたら1人はGo To トラベルのせいで新型コロナウイルスに罹る人が出てくるから、初めからやるなということ、もしくは確実な安全性を持った証拠を示してやれ、ということだと思われる。
(念のため、私はGo To トラベルに賛成しているわけではない。かと言って、絶対に反対でもない。Go To トラベルで感染が拡大されることもあるだろうし、自粛によって経済が落ち込んだことで自殺者が増えるなど、そちらのほうが死者が出るかもしれない。個人事業主などに給付金などは絶対に必要だとは思うが、なにせ終息が読めないものだから、ずっと給付金を払うわけにもいかないだろうし、やはり経済を回すことは必要だと思う。私にはわからない。)
この100人が100人という理論で行くなら、エビデンスがあるものって例えば何があるだろう?
薬はどんなものでも効く人がいれば効かない人もいるし、これはエビデンスはないということになる。
じゃあ、薬はエビデンスがないから使わない、というわけではないだろう。
100人いたら1人なら許容範囲だが、10人なら多すぎるから駄目だ、という人も出てくるかもしれない。
この場合の、1人と10人の違いのエビデンスを教えてほしいものだ。
100人いるうちの1人が自分の家族であれば、猛烈に反対するだろう。
では、新型コロナウイルスの感染を100%防ぎつつ、経済活性化政策をうてる、エビデンスのあることとは一体何であろう?
そんなものはない、と私は思う。
Go To トラベルにはこういう危険性があるが、ただこれをしないと経済が回らなくなり、自殺者が増えたり、会社が倒産したりするなど、こういうメリットもある。
どちらの判断をするかは国民で各自決めてもらう。
ということを、わかりやすく、丁寧に、我慢強く、説得力を持って、説明するのが政治家の役割、ひいてはマスコミの務めだと思う。
民主主義ってそういうものではないのだろうか?