悩むぐらいなら考える

 人間関係が上手くいかなくて悩んでいて…

同僚より仕事ができなくて悩んでいて…

など、悩みというのは尽きないものだ。

誰にも1つや2つの悩みはあるのだと思う。

しかし、悩みがない、という人も稀にいる。

口でそう言っているだけの場合もあるが、本当に悩みがなさそうにしている人は少なからずいる。

そのような人は、嫌なことが全く何一つないのだろうか?

そんなことはない、と思う。

生きていれば嫌なことは出てくるし、それは何か自分の犯した間違いだけでなく、自ら招いたものではないこともある。

そういう時悩みがない人は、どのような思考回路をしているのだろうか?

 

悩みというのは嫌なものだ(当たり前だ)。

悩んでしまうと少なからず心を病むことになる。

心を病むと、さらに悩んでしまう。

負の連鎖に陥ってしまう。

 

 

 

少し考えてみればわかると思うが、悩みというのは思考停止だ。

頭の中でいろいろなことが堂々巡りをして、前にも後ろにも、横にも、どこにも進むことができない。

動くことができないことを悩んでいるというのだろう。

 

また、よく見受けられることとして、自分では何かを考えているつもりでも、その実は悩んでいることがよくある。

例えば、締め切りに間に合わない報告書があって、どうしようかと、何十分も立ち止まって考えている(立ち止まって考えるは形容矛盾かもしれない)。

本人はどうしようかと考えているつもりだが、本当はただ悩んでいるだけなのだ。

上司に怒られないか、周りから見下されないか、悩んでいるだけなのだ。

悩むぐらいなら考えるほうが良い。

上司に怒られる、というのは結果であって、自分ができることは何かと考えるべきだ。

とりあえずできるところまでやってみよう。

締め切りを伸ばしてもらうように話をしてみよう。

誰か、手の空いてる人に助けてもらおう。

そういう風に考えるべきだ。

 

悩むことと考えることの違いは何だろうか?

悩むとは、答えがない(と自分が思っている)ことについて思いめぐらせていること。

考えるとは、答えがあるはずと思って動こうとすること。

これが違いだと思う。

悩むことのデメリットは計り知れない。

 

何か困ったことがあったら、自分は今、悩んでいるのだろうか、それとも考えているのだろうか、と常に気にすることは有益だ。

多くの失敗は悩むことによってさらに悪くなり、多くの時間は悩むことによって無為に過ぎていく。

悩んだってなにもいいことはないのだ。

今、自分は悩んでいるから、どのように考えようか、と気づく。

その場合、自分は何をしたら一番良いのか、何をしたら生産的なのかを考える。

悩みのないと思える人は、そのようにして考えている。