「直観」と「ひらめき」②

 「直観」は誰しも膨大な時間をかけられれば得られ、そして年齢を重ねても身体機能のように衰えるものではない。

「直観」が働くときに活動する部位である「大脳基底核」は年齢とともに衰えるものではないからだ。

この年齢という意味は2つの意味合いを含んでいる。

1つは実際の年齢という意味。

60歳や80歳になっても「大脳基底核」は衰えない。

年を取って衰えるものはほとんどが身体に関係している。

40歳からスポーツを始めたとしても、20歳の若者よりはうまくならないのは、脳機能のせいではなく、身体機能のせいである。

2つ目は「やり始めてまだ日が浅い」などの意味。

例えばラテン語を60歳から勉強し始めたとしても、中学生からラテン語を学び始めた者と大して変わりはない。

大して変わりはないどころか、脳機能から言えば60歳の人のほうがいろんなものの連想や関連付けができる分、有利なのではないだろうか。

年を取って物覚えが悪くなったと言いたがるのは、1つには「年を取ると物覚えが悪くなる」と信じ込み、自分でだましている場合、2つ目は年齢を重ねて先が見えてくる、つまり死が近づいてくると、長時間かける猶予が惜しくなり、すぐに成果が見えないと辛抱できなくなるからであり、3つ目に長時間勉強する体力がなくなるからであろう。

3つ目に関しては日々の運動で体力の低下を遅らせることができるだろうし、1つ目と2つ目は自分の意識、考え方のせいである。

脳科学で証明されているのであるから、自信をもって何事も挑戦するのがいいと思う。

 このように「直観」は膨大な時間の訓練、勉強の末に獲得できるのであるが、では「ひらめき」はどうだろうか。

この「ひらめき」もある程度の時間が必要なのであるが、若い時やまだ何かをやり始めた時に論理的に考える訓練をすることによって得られるのだと思う。

将棋でいえば、論理的に何が次の一手が最善手かを訓練することで、ある時、その論理をすっ飛ばして答えが出てくるのが「ひらめき」である。

これは後で「なるほど、自分はこう考えていたのか」と追認することができる。

だが、追認することができるということは思考はそれほど遠くまで飛んで行ってるのではない。

やはり、そこは「直観」のほうが勝るのである。

 ここで重要になるのは習慣化する能力である。

何事にも3日坊主では直観は出てこないし、ひらめきさえでてこない。

どうやって物事を習慣づけるのかが問題になる。